国宝「太刀 銘 長光 名物 津田遠江長光」徳川美術館蔵 (展示期間:8/6まで)
第2章 巨大城郭の時代 金箔瓦の荘厳(本館7室1)1・安土城
展示番号 92番
その後津田遠江重久はしばらく放浪した後、加賀の前田家に仕えることになったんです。その時に加賀前田家三代利常(としつね)へ贈り、さらに利常から五代将軍綱吉へ献上されて、さらに尾張家四代吉通が六代将軍家宣より拝領することに。それで徳川美術館が所有しているというわけです。
尾張徳川家の作品の特長は、道具の歴史がしっかりとわかることです。徳川美術館の持っている収蔵品には江戸時代からずっと書き続かれた蔵帳という物の管理記録みたいなものが全部で550冊あり、その記録の中に「津田遠江長光」についての歴史も書いてあります。
ちなみに 一番古い管理記録は家康が亡くなった時の遺産目録「駿府御分物御道具帳(すんぷおわけものおどうぐちょう)」で、尾張家に何が贈られたか、消耗品に至るまで総点数10万件すべて書いてあります。
次は【94】瀧左(瀧川一益)宛 秀吉自らが書いた脅しとも取れる行動記録…羽柴秀吉書状
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刀のラベルの見方
刀のラベルの見方ですが、刀の作品名ラベルの区切りの付け方からご紹介します。
今回の作品名は最初に「太刀 銘 長光」と書かれています。
ここで言う「太刀」のところは、刀剣の種類が書かれていて、刃の長さや形状によって、短刀、脇指、刀、太刀などに分類されます。
「銘〇〇」とは、「〇〇と書いてあるよ」という意味です。
種類については、財団法人 日本美術刀剣保存協会さんのサイト「刀剣の種類」を見ていただくとわかりやすいです。
この津田遠江長光の場合は「長光」と作者の名前が刻まれているタイプです。
作者のサインの他には、【46】「名物 義元左文字」のように所持者や伝来について刻まれたもの、試し切りの結果を記したもの、後世の人が鑑定結果を残したものなどがあります。
【29】あざ丸のように、何も書かれていない場合は「無銘」と言います。
そして一部の刀には、その一口だけの特別な名前がついていて、これを号といいます。
特に優れたもので、昔の名刀リストである「享保名物帳」に掲載されているものは、「名物」と記載されます。
今回の津田遠江長光は「名物」と名前がついていますね。この刀の作者である長光は、備前(今の岡山)の流派である長船派二代目の刀工です。時期によって作風が異なり、初期は父とされる光忠とよく似た非常に華やかな刃文を焼きますが、晩年になると落ち着いた作風に変わります。この津田遠江長光は長光の初期作の典型であり代表作として知られています。
名物とつく今回の展示品の分類と刀の鑑賞法
この特別な名前には、以下3つの分類で名称がつきます。
(1)所蔵者の名前にもとづくもの
(2)見た目の特徴によるもの
(3)伝説によるもの
【46】義元左文字は(1)に該当します。【101】鯰尾藤四郎は(2)、【29】あざ丸と【45】蜘蛛切丸は(3)です。
更に特例や、他の命名パターンもありますので、気になる方はぜひ調べてみてください。
名物帳を読んでみたいという方は、国会図書館のデジタルライブラリーで、大正2年に活字として出版された『詳註刀剣名物帳』をインターネット上で見ることができますよ。
以下は展示品の刀の鑑賞の仕方で個人的にオススメの方法をご紹介します。
各部分の呼び方については、財団法人 日本美術刀剣保存協会さんのサイト「各部分のつくりと見どころ」が非常にわかりやすいです。
尖って返る帽子(切先<きっさき>の部分)と、蛙子丁子の混ざる丁子刃
長船派二代目の刀工の長光の父・光忠の特徴である刃文が、この津田遠江長光にも見られます。
刃文は、わかりづらい時には見る方向を変えてみると見えるようになることがありますので、見る角度を変えてみましょう。
余力のある人は、常設展示室の「太刀 無銘 一文字」の丁子刃と見比べてみるのもおもしろいかもしれません。
地の模様を味わう
刀をつくるときには、パイ生地を作るように鉄を畳んで伸ばしてという工程を繰り返します。
そのため地の部分に模様が現れ、これも鑑賞のポイントになります。
慣れるまでは見えにくいのですが、今回出ている中だと【29】あざ丸は比較的見えやすいのではないかと思われます。
■参考資料
『図説 刀剣名物帳』など
まとめ:セツカ
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第2章 巨大城郭の時代 金箔瓦の荘厳(本館7室1)1・安土城
展示番号 92番