春日井郡清須村古城絵図 蓬左文庫
第2章 巨大城郭の時代 (本館7室①)
4・清須城
展示番号 130番
次は【131】「天正十四年」紀年銘瓦 織田信雄の清須城改修を裏付ける刻まれた証拠
廃城後の清須城の姿は?
清須城に関する古絵図としては現在では4枚程知られています。
この中で一番城下の復元に最も参考になる絵図は名古屋市蓬左文庫が所蔵する展示品の絵図です。
ポイントはこの絵図は廃城になるまでの最終段階(後期)の城の姿を描いた貴重な絵図でも有ります。
この資料を元に後世の写しと見られるのが、現在は大分県臼杵市立臼杵図書館が所蔵する【尾州清州之古城】【尾州清州之城図】などです。
美濃路の清州宿(江戸時代以降は「清州」)として役割を変更し継続をしていました。
廃城後はかつての繁栄の姿とは全く違うものに変貌します。
しかし現代では清須城跡は「模擬天守清州城」として形を変え、市民や観光客に親しまれる存在となっています。
一方、信長の安土城(滋賀県近江八幡市)は廃城になると、その地域の城と城下町は、近江八幡へ移りました。
その後の安土城下は繁栄とは程遠い姿になってしまいました。
織田信長の聖域と側面が強かったからでしょうか?
そこに入る城主もその後は居なかった訳ですから、城下が繁栄する事は無かったのだと印象が残る安土城下です。
まとめ:にの
参考写真 清須城天守台跡 尾張名所図解より
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第2章 巨大城郭の時代 (本館7室①)
4・清須城
展示番号 130番