羽柴秀吉書状 瀧左(瀧川一益)宛 8/8-9/10
【展示場所】(場所・番号などは変更されている場合があります)
第2章 巨大城郭の時代 四 金箔瓦の荘厳(本館7室1)
(一)安土城
展示番号94
第2章 巨大城郭の時代 四 金箔瓦の荘厳(本館7室1)
(一)安土城
展示番号94
原さん
織田家の後継を決める清須会議の前日に、秀吉から瀧川(滝川)一益へ送った本能寺の変後の顛末を記した書状です。
当時、滝川一益は北条家との神流川合戦で大敗し撤退している最中で、この書状を受け取った時はまだ信濃国に滞在していたんです。この書状は秀吉がとった行動を全部記したもので、多少オーバーにしている部分はありますが、秀吉自身が書いたものとして興味深い書状なのです。
当時、滝川一益は北条家との神流川合戦で大敗し撤退している最中で、この書状を受け取った時はまだ信濃国に滞在していたんです。この書状は秀吉がとった行動を全部記したもので、多少オーバーにしている部分はありますが、秀吉自身が書いたものとして興味深い書状なのです。
おいでよ天下人の城展
映画『清須会議』では、滝川一益がひたすら関東から走っているのに、清須会議に間に合わない様が描かれていたのを思い出しました。書状はどんなことが書いてあったんですか?
原さん
内容は毛利と和睦したこと、明智光秀を討ち果たしたこと、光秀は京都山科で「百姓」に討たれ、首は溝に捨てられていたこと。それは織田信長様を殺したのだから天罰だという事も書いてあります。
他には明智の居城・坂本城を攻略したこと、光秀の娘婿は自害して城に火をかけ焼け死んだこと、光秀の家老・斎藤利三(としみつ)父子を処刑したこと、長浜より西寄りにある山本山に立てこもり、最後まで抵抗していた阿閇(あつじ)一族を皆殺しにしたこと、美濃・尾張を制圧したことなどを伝えています。
他には明智の居城・坂本城を攻略したこと、光秀の娘婿は自害して城に火をかけ焼け死んだこと、光秀の家老・斎藤利三(としみつ)父子を処刑したこと、長浜より西寄りにある山本山に立てこもり、最後まで抵抗していた阿閇(あつじ)一族を皆殺しにしたこと、美濃・尾張を制圧したことなどを伝えています。
おいでよ天下人の城展
とんでもなく恐ろしい内容ですね・・・。 もう逃げ道がないような感じがします。
原さん
ちなみに【68】秀吉の制札、斎藤利堯制札はこの時岐阜城下に出されたものなんですよ。秀吉は美濃を支配して、美濃千手堂に禁制を出すことにしたんです。
おいでよ天下人の城展
禁制は「戦乱に巻きこまれないように、寺社などに発行された安全保障証」のことですよね。 秀吉の天下統一が着々と見えてきていることがわかります!
次は【95】「當寺御開山御真筆」 欲望にまみれた黒ネズミなど、信長を酷評!
【展示場所】(場所・番号などは変更されている場合があります)
第2章 巨大城郭の時代 四 金箔瓦の荘厳(本館7室1)
(一)安土城
展示番号94
第2章 巨大城郭の時代 四 金箔瓦の荘厳(本館7室1)
(一)安土城
展示番号94