安土記 巻9(85番) 巻15(93番) 蓬左文庫蔵
【展示場所】(場所・番号などは変更されている場合があります)
第2章 巨大城郭の時代 (本館7室①)
4・金箔瓦の荘厳
展示番号 85、93番
第2章 巨大城郭の時代 (本館7室①)
4・金箔瓦の荘厳
展示番号 85、93番
原さん
「安土記」は太田牛一著『信長公記』の写本で、『安土日記』、『信長記』などタイトルも様々あります。 その写本の1つ「安土記」の第9巻は安土城完成の項で、「金花、松花」の茶壷が来た時です。ただし、著者の太田牛一が金花、松花の献上が時期を勘違いしていて、天正四年と書いていますが、この年は安土城の普請開始の年。 安土城の完成祝いとして贈られたのであれば天正7年のはずなんですよね。
おいでよ天下人の城展
人間だもの。間違いくらいありますよね。【93】「安土記」の第15巻は何が書いてあるんですか?
原さん
こちらは「信長公記」の最終巻の写しで、信長が死ぬ場面が書かれています。 当初、信長は明智光秀襲来の喧騒を「喧嘩」と勘違いしていたけれど、鉄炮を撃ちかけられて謀反だと気づきます。 そして森蘭丸に誰が謀反したかを問いただし、蘭丸から明智光秀の謀反と聞き「是非(ぜひ)に及ばず」という有名なセリフを言った。 太田牛一は本能寺に居合わせなかったので誰かからの聞き取りだと思いますが、テレビドラマなどでよく描かれる場面が書いてありますね。
おいでよ天下人の城展
知ってます!是非に及ばず。
原さん
是非に及ばずを現代語に訳するのはなかなか難しく、いくつもの解釈があります。
「ああ、相手が光秀だったら仕方がない」というあきらめの言葉にもとれるし、「いっちょやるか」という決意の言葉にとることもできる。
「ああ、相手が光秀だったら仕方がない」というあきらめの言葉にもとれるし、「いっちょやるか」という決意の言葉にとることもできる。
当初、弓で応戦したようですが、弓の弦(つる)が切れたため槍に持ち替え戦ったものの、肘に槍傷を受けて建物内に退き、女性を退出させた後、火をかけて切腹したと、最期の様子が克明に記されています。
このときの戦死者の名前も書いてあり、蘭丸、坊丸、力丸の森三兄弟もここで戦死したとありますね。
おいでよ天下人の城展
ドラマなどで見るシーンは、演出じゃなかったんですね。
原さん
もちろん演出も多分にあると思いますので、ドラマとして楽しんでくださいね・・・。
85の次は【86】安土御献立十六日之夕膳 信長が家康を接待したメニューが「信長御膳」として徳川美術館の隣で再現される!
93番から来た方の次は【94】瀧左(瀧川一益)宛 秀吉自らが書いた脅しとも取れる行動記録…羽柴秀吉書状
【展示場所】(場所・番号などは変更されている場合があります)
第2章 巨大城郭の時代 (本館7室①)
4・金箔瓦の荘厳
展示番号 85、93番
第2章 巨大城郭の時代 (本館7室①)
4・金箔瓦の荘厳
展示番号 85、93番