清洲城下町遺跡出土品(武具)愛知県埋蔵文化財調査センター蔵
第2章 清須城と桶狭間合戦(蓬左文庫第一室西側)
展示番号 33番
今回の出土品についての読売新聞「探訪 東海百城」より一部引用します。
信長と言えば、「革命児」の印象が強い。古い時代を否定し、ゼロから作り出す創造力があるようにみえる。
その一つが「城下町」だ。
大名の城に付随して、商人や鍛冶などの職人たちが町をつくることは当たり前と考えがちだが、現在も多くの地域で残る城下町の形は信長が初めて築城した小牧山城(同県小牧市)から始まったとされている。最近、これをさらに遡る考古学上の発見があった。
「信長が、武士と商工業を一体化しようとした第一歩ともいえる発掘成果」と、愛知県内各地で発掘調査に携わり、2010~11年、清須城の城下町跡(同県清須市)を調査した同県埋蔵文化財センターの鈴木正貴主任専門員(53)が話す。
清須城は、信長が小牧山城を造るまで本拠地とした城で、鈴木さんが出土物や遺構を精査したところ、武家屋敷の一部を鍛冶職人たちの作業所として改修していたことが判明したのだ。
信長は小牧山の麓の平原に、商人や鍛冶職人たちを決まった場所に集住させる城下町を計画的に造成していた。今回の発見は、小牧の前に清須城で城下町造りの「実験」をしていたことになる。
出土品の小札(こざね)について、応援団のぅにょんさんが解説イラストを描いてくれました。(詳細な説明はこちら)
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第2章 清須城と桶狭間合戦(蓬左文庫第一室西側)
展示番号 33番