7/15~9/10開催の企画展「天下人の城」(織田信長、豊臣秀吉、徳川家康)について徹底リポート!

「天下人の城」〜徳川美術館応援団〜

展示紹介

【32】 春日井郡清須古城之図 遺跡となった織田信雄(信長の次男)の清須城

更新日:

32 春日井郡清須古城之図【かすがいのこおりきよすこじょうのず】蓬左文庫蔵

【展示場所】(場所・番号などは変更されている場合があります)
第1章 天下布武への道 清須城と桶狭間合戦(蓬左文庫第一室西側)
展示番号 32番
原さん
 江戸時代になって描かれた清須城跡の略図です。慶長十五年(1610)以降の「清須越(きよすごし)」によって、尾張藩の本拠が清須から名古屋に移ることになって廃城となりました。その後、清須には宿場町の清須宿ができます。そこに隣接して郭(くるわ)の高まりや、堀跡とみられる溝・低地が遺されていたのです。
おいでよ天下人の城展
移転後の姿ということは信長時代ではなく、息子の信雄(のぶかつ)の城の跡ということでしょうか。
原さん
信長時代の居館は、五条川を挟んだ対岸に位置していたと考えられており、この図の城跡は、本能寺の変後に信長の次男・信(のぶ)(かつ)が大改修した城の痕跡(こんせき)である。江戸時代前期に実測を元にして正確に描いたのが、あとで展示する129の「春日井郡清須村古城絵図」ですが、見比べてみてください。郭の形が全然違います。
おいでよ天下人の城展
つまり、信長時代の清須城の姿は江戸時代の時点でもわからないということでしょうか。
原さん
はい、そこで現代の考古学による調査・研究での解明に期待がかかるのです。
おいでよ天下人の城展
次の33番がそうですね!

次は【33】清洲城下町遺跡出土品 信長が城下で造らせた画期的な武具?

【展示場所】(場所・番号などは変更されている場合があります)
第1章 天下布武への道 清須城と桶狭間合戦(蓬左文庫第一室西側)
展示番号 32番

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