7/15~9/10開催の企画展「天下人の城」(織田信長、豊臣秀吉、徳川家康)について徹底リポート!

「天下人の城」〜徳川美術館応援団〜

展示紹介

【12】松平清康画像(模本) なぜ尾張藩は藩主の肖像画を描かなかったのか 

更新日:

松平清康画像模本 原本:岡崎市随念寺蔵 模本:徳川美術館蔵 後期8/16から

【展示場所】(場所・番号などは変更されている場合があります)
第1章 天下布武への道 1 勝幡城・那古野城の時代(蓬左文庫第1室東側)
展示番号 12番
原さん
家康の祖父・清康(1511〜35)の肖像画です。原本は清康の菩提を弔うために家康が建立した随念寺(愛知県岡崎市)にあります。
おいでよ天下人の城展
清康は、武将としての資質に優れ、三河一国の統一を進めたけれども、尾張への出陣中に守山(名古屋市守山区)で家臣に殺害された悲劇の人物ですね。
原さん
清康の死後、松平家は内部分裂し衰退していきました。松平元信と称していた家康は弘治3~4年(1557〜58)に「元康」と改名するが「康」の字は祖父にあやかったとされています。
おいでよ天下人の城展
それだけ偉大なおじいさんだったんですね。
原さん
本像は、頭は被り物のない露頂で肩衣袴を着た典型的な武将像です。
おいでよ天下人の城展
作品リストを見ると模本の作者の方の名前が複数ありますが。
原さん
この模本の作者は日本画家『桜井清香(さくらいきよか/せいこう)』。桜井が昭和11年に写したものです。桜井は徳川美術館の学芸員でもあり、数々の肖像画を模写しています。
おいでよ天下人の城展
学芸員が日本画家!
原さん
櫻井の模本で印象的な話があります。尾張藩は初代義直の遺言により肖像画を残さない家訓があり、歴代藩主の像がほぼ残っていません。
おいでよ天下人の城展
どうしてですか?
原さん
義直の妻が亡くなったときに、肖像画を作ろうとしたのですが、今で言うなら「偶像崇拝禁止」ということで義直が作らせなかったのです。
おいでよ天下人の城展
一部、藩主の木造の像があるとお聞きしたのですが。
原さん
将軍家から養子にきた藩主の一部が肖像画がダメなら、木造の像でということで造った例がありました。
おいでよ天下人の城展
ただ、義直さまの肖像画も見たことがあるのですが。
原さん
家訓から尾張家では肖像画は造られていないのですが、2代藩主の徳川光友が建てた清浄寺(名古屋市中区大須)が、感謝の念をこめて、「開山の祖」として、光友と、初代藩主義直の肖像画を描き、密かに保管していました。昭和になって、桜井は清浄寺の「徳川義直」画像の模写もしています。原本は空襲で焼失したので、現存する義直の肖像画はこの模写のみになっているのです。
おいでよ天下人の城展
模写にも歴史が詰まっているんですね。
原さん
松平清康画像模本は昭和初期に徳川美術館の学芸員が非常に緻密に模写して描いた作品であり、そういった側面で美術鑑賞もしていただきたいです。

次は【13番】春日井郡上品野山城絵図 知られざる今川義元の織田信長包囲網

【展示場所】(場所・番号などは変更されている場合があります)
第1章 天下布武への道 1 勝幡城・那古野城の時代(蓬左文庫第1室東側)
展示番号 12番

清浄寺については「名古屋コンシェルジュ」の記事もどうぞ。

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