7/15~9/10開催の企画展「天下人の城」(織田信長、豊臣秀吉、徳川家康)について徹底リポート!

「天下人の城」〜徳川美術館応援団〜

展示紹介

【87】織田信長書状 おね宛 信長が秀吉のことを「はげネズミ」と罵倒

更新日:

織田信長書状 おね宛 個人蔵 後期8/16~

【展示場所】(場所・番号などは変更されている場合があります)
第2章 巨大城郭の時代  四 金箔瓦の荘厳(本館7室1)
(一)安土城
展示番号87
原さん
この書状は、信長が秀吉と後の北政所おねとの夫婦喧嘩を仲裁した、とても有名な書状です。
おいでよ天下人の城展
信長が部下の夫婦げんかを?

原さん

信長の自筆書状は非常に珍しく、自筆確実なものは、現在、永青文庫(熊本藩細川家)が所蔵している細川忠興宛ての書状が唯一と言われています。そんな中、この書状も、おそらく自筆ではないか、と言われているものになります。そういう意味では、信長の自筆書状2点しかない内の1点という事になります。

*永青文庫所蔵の書状は、忠興が、天正5年(1577年)に父・藤孝に従い、片岡城を攻めた際の功績に対する感状で、信長の近臣、堀久太郎秀政の「御自筆の御書をなされ候」という添状があることから、信長の自筆と確認されています。

おいでよ天下人の城展
基本的に信長の書状は右筆とよばれる秘書役が代筆して、信長は花押(サイン)や天下布武の判をぽんと最後に捺すだけなんですね。
原さん
信長の右筆は12人と言われていますが、内容は以下のようになります。
おねの来訪を喜び、土産物の礼を述べたあと、おねの美貌が前回対面した時よりも勝っていると褒め、秀吉がたびたび女房への不満をもらすとは言語道断である。どこを捜してもあなたほどの妻を迎えるのは、かの「はげねすミ(禿鼠=秀吉のこと)」には難しかろう。あなたもこれからは朗らかな気持ちで、妻らしく重々しく振る舞って嫉妬を起こさないように、言いたいことも少々我慢するほうがよい。なお秀吉にもこの文面を見せるように、とある。信長が秀吉を「はげねすミ」と呼んだのがこの書状によって判る。

秀吉は「猿」でなく「ネズミ」と呼ばれていた?!

富永商太・絵

原さん
忠興宛ての書状は、戦功を称するという公的な意味合いが非常に強いものです。一方、このおね宛ての書状は、「夫婦喧嘩の仲裁」という本当にプライベートな内容の手紙です。信長と対面したおねが愚痴を言ったことに対し、信長は「まぁまぁ」と抑えている。そういう点で、大変面白いものです。例えば、お前の美貌は前回対面した時よりますますきれいになったねと、こういうお世辞を言う人だったんですね。 それで「秀吉が度々自分の女房への不満を漏らすなどというのは、言語道断である。どこを探してもあなた程の妻を迎えるのは、あいつには難しいだろう」といっている。さらに、「これ程の妻を持てる秀吉はまず幸せで、あいつはもう二度とこんないい妻を持つことは出来ないであろう」とも。
おいでよ天下人の城展
極めてプライベートな内容ですね。
原さん
そして、その時に秀吉の事を「かの禿ネズミ」って言い方をするんですよね。かの禿ネズミにはもったいないほどの妻であるという言い方をしている。
おいでよ天下人の城展
秀吉を「猿」ではなく「はげネズミ」と呼んでいたんですか?!
原さん
よく猿、猿って言われていますけれど、どちらかというと後の太閤記で言われているようなイメージですね。一方、同時代の信長が禿ネズミという言い方をして、おねさんは、「うちの旦那の事だ」って分かるっていうことは、信長は秀吉の事を多分猿と言わなくて禿ネズミ、ないしはネズミと言っていた可能性があるわけです。当時としてはそれが一般的だった。それがちゃんと書いてあるところが面白い。
おいでよ天下人の城展
これでは秀吉も立つ瀬がないですね?
原さん
そうではないのです。やっぱり目的は仲裁ですから、一方的に秀吉を非難するわけじゃなくて、あなたも妻らしく重々しく振舞ってくれと、嫉妬を起こさないようにしてくれって言うのです。
おいでよ天下人の城展
けなしているようで褒めて、理解しているようで諭している。さすがの人心掌握術ですね。
原さん
ものすごく珍しく信長の人間性が現れている。よく冷酷非情とかって言われますけれど、あれもどこで作られたイメージなのかどうか。確かに、さっきの信長の画像の時に宣教師の話を紹介したように、人の意見を聞かないとかっていうような面もあったんでしょう。でも、こういう一面も覗かしていたっていう。
おいでよ天下人の城展
信長のイメージがだいぶ変わりました。
原さん
何よりも面白いのが、これってどう見たって個人のプライベートな手紙じゃないですか。プライベートな手紙に、最後、天下布武の印をボンっと押してある。これは、天下布武の印ってあれ、今で言うと公印ですからね。今で言うと市長印、知事印を押すようなものなんですよね。ということは、これプライベートの手紙だけれども、これ公文書なんだよと。だから、これ必ず秀吉に見せよって言ってるわけです。つまり公文書的な意味合いを持つという。どこか洒落っ気がある感じでしょ。だから珍しいんですよ。この類の古文書が残っているって。また「のぶ」って簡単な署名をしているわけで。そういう点では非常に戦国武将の手紙の中の異例中の異例の手紙。
おいでよ天下人の城展
8/8~9/10という変則的な期間限定の展示ですので、ぜひこの期間にも足を運んでほしいですね。
原さん
とても人気があるのですが、そう長くは展示できないので刀剣の津田遠江と入れ替えとなります。

 

8/8~9/10期間限定の展示です

原さん
これとぜひ一緒に見て頂きたいのがこのコーナーの最後【95】の「當寺御開山御真筆」という初公開の資料です。
おいでよ天下人の城展
なぜでしょうか?
原さん
あとで詳しく紹介しますが、簡単に言うと、信長のことを「黒ネズミ」と呼んでいる資料です。
おいでよ天下人の城展
「はげネズミ」と呼んだ信長が「黒ネズミ」と呼ばれると………なかなかシュールですね笑

次は【88-91】「載輪宝鬼瓦、「能」字文軒丸瓦、「能」字文鳥衾瓦、焼瓦(本能寺跡出土品の内)」本能寺は一部しか焼けていなかった?

【展示場所】(場所・番号などは変更されている場合があります)
第2章 巨大城郭の時代  四 金箔瓦の荘厳(本館7室1)
(一)安土城
展示番号 87番

イラスト富永商太

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