豊臣秀吉朱印大坂築城石運定書 加藤左馬助(嘉明)宛 天正十四年二月廿三日 大阪城天守閣蔵 後期8/16~展示
【展示場所】(場所・番号などは変更されている場合があります)
第2章 巨大城郭の時代 四 金箔瓦の荘厳(本館7室1)
(二)大坂城
展示番号105
第2章 巨大城郭の時代 四 金箔瓦の荘厳(本館7室1)
(二)大坂城
展示番号105
おいでよ天下人の城展
前期に展示された一つ前の番号【104】から3年後ですが、まだ大坂城を造っているんですね。秀吉の名前が「羽柴」から「豊臣」に変わっていますね
原さん
大坂築城時の採石・運搬に関する定書です。秀吉は天正十三年(1585)七月十一日に関白職に就き、翌年正月より大坂城の第2期普請を本格化させました。
おいでよ天下人の城展
二期工事なんですか。羽柴から豊臣になって、名実ともに「天下人の城」となっていくのですね。
原さん
この書状は、作業する者のなかには勝手なことをする者がいたため、秀吉があらかじめ決まりを定めたものです。
おいでよ天下人の城展
どんなルールでしょうか?
原さん
勝手に竹木を伐採してはいけない、宿の人間に乱暴狼藉をしてはいけないなどと定めている。他にも、大石を運搬する者を優先させる、喧嘩をしてはいけないなどとある。 また、石を切り出しただけでは、その人の権利にはならない。最低でも1町(約百メートル)運搬しなければ、その石の所有権は主張できないという面白い決まりがあったとされています。
おいでよ天下人の城展
切り出しただけでは、夜に盗まれても文句が言えないんですね。それだけ石の取り合いがあったということなのでしょう。
次は【106】豊臣秀吉朱印状 小出甚左衛門尉(秀政)宛 石垣の素材を運ぶ作業の監督に米を与えよ
【展示場所】(場所・番号などは変更されている場合があります)
第2章 巨大城郭の時代 四 金箔瓦の荘厳(本館7室1)
(二)大坂城
展示番号105
第2章 巨大城郭の時代 四 金箔瓦の荘厳(本館7室1)
(二)大坂城
展示番号105