【51】 尾州古城志 【52】尾州濃州御領分古城記 いずれも蓬左文庫蔵
【展示場所】(場所・番号などは変更されている場合があります)
第1章 天下布武への道
二・清須城と桶狭間合戦(蓬左文庫第一室西側)
展示番号 51・52番
第1章 天下布武への道
二・清須城と桶狭間合戦(蓬左文庫第一室西側)
展示番号 51・52番
原さん
このふたつは江戸時代に作られた尾張における城の記録です。51番の方は信長が生まれた城は那古野城としています。しかし52番の方はキチンと勝幡城と書いてあります。同じ江戸時代の記録でも、やっぱり違うものです。
おいでよ天下人の城展
信長が那古野城ではなく、勝幡城で生まれたことは、【3】中島郡勝幡古城絵図でも紹介しています。
参考:【3】中島郡勝幡古城絵図 織田信長が生まれたお城は名古屋でなくて勝幡城なんです
原さん
ここで面白いのが墨俣一夜城伝説です。あれは太閤記での創作ではありますが、墨俣城じたいはきちんとあったんですね。
おいでよ天下人の城展
一夜で秀吉が造ったというのはフィクションでも、下敷きになる城はあったんですね。ひとつ前の説明でも、永禄5年(1561)に信長が墨俣で斎藤氏と戦ったという説明がありましたね。
原さん
信長公記にも墨俣城は出てきますが、永禄10年(1566)の岐阜攻めの前の永禄6年(1562)にはすでに信長が放棄していると書いてあります。52の資料には墨俣城についての記述は、伊木清兵衛(いきさいべえ)、後に池田家の家臣となる人物の城だったとだけ書いてあります。秀吉のひの字も出てこない。
おいでよ天下人の城展
秀吉のことはそれよりあとで創られたのですね。
原さん
墨俣城は、江戸時代の頃には<小牧・長久手合戦あたりの時代に伊木清兵衛が使っていた城>程度の認識でしかなく、太閤一夜城伝説は近代(明治以降)に入って太閤記が一般的に流布するようになってからの話であって、少なくとも江戸時代にはそういう話が地元にはあまり残っていなかったといえます。
おいでよ天下人の城展
現在建っている模擬天守の墨俣城は一夜で出てたとは思えないほど立派な建物ですが、ある意味であっているのかもしれませんね(笑)
ここで蓬左文庫第一室の展示は終わりです。次の第二室「小牧山城・岐阜城と天下布武」へGO!
次は【53】小牧山城木製模型 未知との遭遇?!「天下人の城」降臨!へ
【展示場所】(場所・番号などは変更されている場合があります)
第1章 天下布武への道
二・清須城と桶狭間合戦(蓬左文庫第一室西側)
展示番号 51・52番
第1章 天下布武への道
二・清須城と桶狭間合戦(蓬左文庫第一室西側)
展示番号 51・52番