49 香木枕【こうぼくまくら】 二基 通期
50 茶漆塗打刀拵【ちゃうるしぬりうちがたなこしらえ】前期8/15まで いずれも名古屋市・總見寺蔵
第1章 天下布武への道
二・清須城と桶狭間合戦(蓬左文庫第一室西側)展示番号 49番50番
次は、【51】 尾州古城志 【52】尾州濃州御領分古城記 墨俣一夜城伝説は江戸時代になかった!
信長28歳 そのころのキャラと時代背景は?
① 永禄5年(1561)近畿地方では三好氏と河内畠山高政の戦いが始まります。
松平元康(後の家康)は正月、尾張清須に行き信長と攻守同盟を結びました。
信長は林秀勝らを派遣して答礼しています。信長は西美濃に侵入し、多芸山(岐阜県養老町)の麓に放火し、また墨俣(木曽川の対岸)で美濃の斎藤勢と交戦したが、思わしい戦果は得られなかった。
② 永禄5年(1561)頃の信長は一般的にイメージされる「天下人」信長像とは異なる違う信長像が浮かび上がります。
支配に関して、こまごました事まで指示を出していたことが分かる判物が残されています。
判物への宛どころは百姓、町人、寺、様々な場所に目を配っている事がわかる信長若き日の時代です。
例えば、この鋳物師の水野氏に出した判物があります。
尾張水野範直宛判物(水野太郎左衛門氏 所蔵文書)
前々任節目、国中鐘・搭九輪・鰐口可鋳之、次於熱田屋、立橐籥事可停止、
然者自他国鍋釜入事、可申付之、諸役・門次所質等、令免許之無相違者也、仍如件
永禄五年
二月
上野 (信長)
鋳物師 (花押)
太郎左衛門とのへ
この頃に出した判物は
・尾張熱田社座主坊宛判物
・尾張正眼寺宛判物写
・尾張弥陀寺宛判物
などがあります。
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第1章 天下布武への道
二・清須城と桶狭間合戦(蓬左文庫第一室西側)展示番号 49、50番