【161】勢州亀山城図・【162】志摩鳥羽城図 「極秘諸国城図」の内 松江歴史館蔵 8/14~9/10まで期間限定展示
第2章 巨大城郭の時代 四 金箔瓦の荘厳(本館7室1)
(六)家康の城
展示番号161・162
こちらでは、「極秘諸国城図」の三重県の亀山城と鳥羽城をご紹介します。
まずは、伊勢国西端で東海道を押さえる要衝の地に築かれた亀山城から。
この「極秘諸国城図」の亀山城がいつのものなのか、残念ながら年代は特定できていません。
天正18年(1590)に城主となった【99】羽柴秀吉書状 岡本太郎右衛門・木下平太夫宛 長島城の滝川一益対策はぬかりなく!でも登場した、岡本良勝が縄張りの原型を造ったとされています。
江戸時代では将軍上洛時の居館に使用されていたので、城主居館は二之丸に設けられていました。
天守は本丸南東部に築かれていましたが、丹波亀山城天守と間違えられて取り壊されたという伝説がありまして。
間違えられたので、伊勢の亀山城の天守はなく、丹波の亀山城の天守はにはちゃんと幕末まで残ってると言われていますが、真偽の程は定かではありません。
天守はないのですが、寛永13年年(1636)に城主となった本多氏により本丸北部の三階櫓を天守として代用していました。その時間違って「勢州桑名」の貼紙が貼られていますが、「勢州亀山」が正解です。
本丸南東部には、今でも多門櫓が現存していますよ。
志摩鳥羽城
続いては九鬼水軍の本拠として文禄3年(1594)に、九鬼嘉隆によって築かれた「鳥羽城」です。
鳥羽城は、江戸時代、志摩国で唯一存続が認められた城なんです。
構造は伊勢湾を臨む山全体を城郭としていて、海水を引き入れた堀によって島状に城下を切り離しています。
珍しい点としては、伊勢湾に面した山城を島状にして大手門を海側に開いていて、城下町側に開いていないこと。
海に向かって大手門が開かれている変わった城で、本丸には三重の天守と御殿がありました。
この図では天守はかなりいびつな形をしてたようですね。ちなみに最近、後のコーナーの【220】田丸城図などで出てくる「富原文庫」から出てきた最幕末の鳥羽城の図でも、正確な平面の寸法が見つかりましたが、こちらの情報からもいびつな形であったことがわかりました。
こちらも残念ながらいつの時代の鳥羽城なのかは、特定できていません。
第2章 巨大城郭の時代 (四)金箔瓦の荘厳は終了。
次は(五)東海の要衝へ
第2章 巨大城郭の時代 四 金箔瓦の荘厳(本館7室1)
(六)家康の城
展示番号161・162