7/15~9/10開催の企画展「天下人の城」(織田信長、豊臣秀吉、徳川家康)について徹底リポート!

「天下人の城」〜徳川美術館応援団〜

展示紹介

【159】遠江横須賀城図 【160】遠州濱松城図 横須賀城が海沿いだった頃と、最古の浜松城の様子

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遠江横須賀城図「極秘諸国城図」の内  松江歴史館蔵  7/15~8/13まで期間限定展示
遠州濱松城図「極秘諸国城図」の内  松江歴史館蔵  8/14~9/10まで期間限定展示

【展示場所】(場所・番号などは変更されている場合があります)
第2章 巨大城郭の時代  四 金箔瓦の荘厳(本館7室1)
(六)家康の城
展示番号159・160
原さん
まずは遠江横須賀城図 から。静岡にある横須賀城で、徳川家康が高天神城攻略のため、天正6年(1578)に大須賀康高に命じて築かせた城です。 遠遠南端の太平洋湾岸に設けられた横須賀湊を抑える要地にありました。
おいでよ天下人の城展
だから海沿いにお城が書いてあるのですね。
原さん
天和2年(1682)に西尾氏が最終的に入り幕末まで横須賀を治めますが、宝永4年(1707)の大地震で土地が隆起し海岸線が後退して、横須賀港事態が干上がってしまいます。その時、港の機能もなくなってしまいました。
おいでよ天下人の城展
今はこの図の通りではないのですね。
原さん
そうなんです。図では「入海」が描かれるので、宝永4年以前の景観を描いたものですね。本丸には三層四階の天守が存在し、本丸南面には玉石を用いた珍しい石垣が築かれています。現在でも図に描かれた城域は現存していて、全域が国の史跡に指定されていますよ。
おいでよ天下人の城展
同じく静岡のお城で遠州濵松城図はどんなことがわかるのですか?
原さん
こちらは描かれた景観から、17世紀に遡る最古級の浜松城図と言われています。15世紀頃に図で「古城」と記される地に築かれた「引馬城」を前身とするものです。 家康が元亀元年(1570)に居城を岡崎より移し、天正14年(1568)まで浜松城に在城した間に、城郭を拡張しています。家康が関東に移封された後、豊臣系大名の堀尾吉晴が入城し、石垣造りの城へと改修しました。現在も残る天守台も堀尾氏による構築ですが、江戸時代に天守は存在していません。江戸時代は9家22代にわたって城主が替わる城で、井上氏の代で明治維新を迎えています。
おいでよ天下人の城展
江戸時代の浜松城は城主が9家22代も入るなんて。忙しいですね!

次は【161】勢州亀山城図・【162】伊勢鳥羽城図 天守不在の亀山城といびつな天守、珍しい構造の伊勢鳥羽城

【展示場所】(場所・番号などは変更されている場合があります)
第2章 巨大城郭の時代  四 金箔瓦の荘厳(本館7室1)
(六)家康の城
展示番号159・160

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