7/15~9/10開催の企画展「天下人の城」(織田信長、豊臣秀吉、徳川家康)について徹底リポート!

「天下人の城」〜徳川美術館応援団〜

展示紹介

【107】豊臣秀吉朱印状 石川備前守(貞清)宛  町全体が城になった!大坂城の総構え

更新日:

豊臣秀吉朱印状 石川備前守(貞清)宛 文禄五年拾月廿日 大阪城天守閣蔵 (前期8/15まで)

【展示場所】(場所・番号などは変更されている場合があります)
第2章 巨大城郭の時代
四 金箔瓦の荘厳(本館7室①)
(二)大坂城
展示番号107番
原さん
犬山城主の石川貞清(生年不詳?一六二六)は、木曽の山林を管轄する山林奉行でした。秀吉は文禄5年、彼に門の控え柱用として、長さ六間三尺(約12メートル)・末口(木口の一辺)一尺九寸四方(約40センチ四方)の檜材2本の調達を命じています。

控え柱 木造の塀や門などが傾くのを防ぐために設けられた支えの柱をいう。

おいでよ天下人の城展
文禄5年(1596)!着工(1583)から13年も経っているじゃないですか。本当に長い間、造っていたんですね。
原さん
さすがに城内ではなく、総構えですね。大坂城総構えの南方方面に設けられたと思われる「堺町御門」です。総構えは文禄三年(一五九四)から同五年にかけての普請で築かれ、大坂城は前代未聞の巨大城郭へと拡張されていくのです。

総構え(惣構え) 城だけでなく、城下町などを取り込んだ町全体を土塁などでぐるりと囲んだもの。

次は【108】豊臣秀吉書状 羽柴左衛門大夫宛  死せる秀吉、福島正則を走らせ、城を作らせる

【展示場所】(場所・番号などは変更されている場合があります)
第2章 巨大城郭の時代
四 金箔瓦の荘厳(本館7室①)
(二)大坂城
展示番号107番

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