【展示場所】(場所・番号などは変更されている場合があります)
第1章 天下布武への道 1 勝幡城・那古野城の時代(蓬左文庫第1室東側)
展示番号 17番
第1章 天下布武への道 1 勝幡城・那古野城の時代(蓬左文庫第1室東側)
展示番号 17番
天文13年、天文16年に起きた加納口の戦い(井ノ口の戦い)で、織田信秀が美濃を攻めようとして初戦では勝利したものの、最終的には斎藤道三に打ち負かされてしまいます。
原さん
その時美濃の斎藤利政(道三)が、刈谷城の水野信近と親しい安心軒・瓦礫軒というお坊さんに宛てた書状です。
多少話は大きめに伝えているかもしれませんが、道三は織田信秀を完膚なきまでに叩きのめしたということを報告しています。
多少話は大きめに伝えているかもしれませんが、道三は織田信秀を完膚なきまでに叩きのめしたということを報告しています。
おいでよ天下人の城展
なぜ水野家が出てくるのでしょう?
原さん
この当時、松平広忠(家康の父)が「松平家を固めれば信秀の三河侵攻を阻止できる」ということを述べているんです。
美濃の斎藤道三は、尾張の織田信秀を牽制するために、松平家と水野家と同盟を結ぼうという意図があったのではないかと考えられますね。
信秀の敵同士で結託して、尾張を三河と美濃の両方から攻めていこうという算段で、それを画策しようとしていたことがわかる書状です。
美濃の斎藤道三は、尾張の織田信秀を牽制するために、松平家と水野家と同盟を結ぼうという意図があったのではないかと考えられますね。
信秀の敵同士で結託して、尾張を三河と美濃の両方から攻めていこうという算段で、それを画策しようとしていたことがわかる書状です。
おいでよ天下人の城展
誰が味方で誰が敵か全然わからなくなりますね。
書状の内容(過去の徳川美術館土曜講座の解説から)
連絡がとれずごめんなさい
合戦で相手を切り崩しました。落とした首について書状を送ったから取り次いでください
(文中の水十、松次三、織弾は人名を省略している)
合戦で相手を切り崩しました。落とした首について書状を送ったから取り次いでください
(文中の水十、松次三、織弾は人名を省略している)
次は【18】へ続く。
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第1章 天下布武への道 1・勝幡城・那古野城の時代(蓬左文庫第1室東側)
展示番号 17番
第1章 天下布武への道 1・勝幡城・那古野城の時代(蓬左文庫第1室東側)
展示番号 17番