7/15~9/10開催の企画展「天下人の城」(織田信長、豊臣秀吉、徳川家康)について徹底リポート!

「天下人の城」〜徳川美術館応援団〜

展示紹介

【119】聚楽第図【120、121】聚楽第跡出土金箔押瓦 関白の政庁という名前だけども天守もあった見た目は「城」

更新日:

聚楽第図 沢田鳳鳴筆 明治27年(1894) 大阪城天守閣蔵 後期8/16~のみ

上京区三丁目遺跡(聚楽第跡)出土金箔押瓦 【121】上京区東日野殿町遺跡(聚楽第跡)出土金箔押瓦

【展示場所】(場所・番号などは変更されている場合があります)
第2章 巨大城郭の時代  四 金箔瓦の荘厳(本館7室1)
(三)聚楽第(じゅらくだい)
展示番号119、120,121

聚楽第は関白の首相官邸

おいでよ天下人の城展
聚楽第、「じゅらくだい」って読むんですね。これお城なんですか?聚楽というと観光温泉ホテルの名前のイメージが‥
原さん
正確に言うと「関白になった秀吉の京都における政庁」ということで、あくまでも公家屋敷という前提での名前です。
おいでよ天下人の城展
首相官邸のようなものですね。
原さん
関白屋敷ではあるけれども、実際には天守が置かれていたわけです。四方には櫓を組まれたまさに城郭形式の城です。ただし内部には檜皮葺の巨大な御殿なんかが設けられていたわけで、公家屋敷風ではありながら、城郭屋敷という、まぁ一種の混淆形式の城なんでしょうね。
おいでよ天下人の城展
屋根に天守閣がのっている愛知県庁(重要文化財)みたいなものですかね。

名古屋城東南から見た愛知県庁(右奥)と名古屋市役所(こちらも重文)撮影にの

アップにすると確かに天守閣が乗ってる愛知県庁(ばん撮影)

原さん
実際にこの聚楽第形式の城の縄張り(設計)が広島城など、いくつかの城でまねされています。秀吉の城と言ってもいい聚楽第では、秀吉の権威を示すキンキンキラキラの金箔瓦等々が並び連ねていたということです。
おいでよ天下人の城展
秀吉の首相官邸は伏見城、私邸が大坂城という風に公私をわけていたと言われますが、聚楽第は伏見城の前身という理解でよいのでしょうか。
原さん
聚楽第は幻の城と言われています。関白職をおいの豊臣秀次に譲った際に、関白に附属する公的な政庁なので聚楽第も譲ったのです。しかし、その後、秀次が謀反という話になって、この真相はいくつかあるんですけれど、秀吉によって処罰された時に、やはり、聚楽第はあくまでも関白の館だったということになり、「関白(秀次、秀吉は太閤)が不在になったから不要!」ということで、徹底的に取り壊されてしまったのです。
おいでよ天下人の城展
もともとは自分がいたのに徹底的に壊すとは、やっぱり自分のプライベートな家という意識ではなく、公的な政庁だったんですね。

発掘で見つかった金箔瓦

おいでよ天下人の城展
【119】【120】は金箔瓦ですね。
原さん
現地行かれた方は分ると思いますけど、若干ここに堀があったんじゃないかなという窪みが残っている程度です。

聚楽第跡(hokuto撮影)

原さん
その城下のいくつかは、もともと秀吉が隠居の城として築き始めた伏見城の方に移されたりしてますけど、現地の跡地からも中心部といわれている所から大量に金箔瓦が出てきたり、周辺からも金箔瓦が出てきたので、城及び城下にも金箔瓦の屋敷が展開した城であり城下であったことが分ります。 中心部から出てきたものが、金箔瓦として唯一国の重要文化財になってます。今回は未指定の方の金箔瓦を今回はお借りしてきてきました。
おいでよ天下人の城展
(国の指定品はいろいろ手続きが大変そうだからかな?)

聚楽第跡の発掘で出土した石垣(るーちん撮影)

新旧の復元画の差は?

おいでよ天下人の城展
後期のみの展示の【119】「聚楽第図」ですが、沢田鳳鳴筆、明治27年(1894)とありますね。一方で、通期で説明として並ぶのが平成に作られた富永商太画伯(千田嘉博監修)の復元イラストですね。

聚楽第復元イラスト(富永商太・絵、千田嘉博監修)

原さん
富永さんの復元画を見ると、立派な天守がたっており、「城」ということがわかるでしょう。城郭考古学者の千田嘉博先生が発掘成果をもとに監修した絵です。
おいでよ天下人の城展
一方の「聚楽第図」はどんなものを根拠にしているのでしょうか。
原さん
海北友松という江戸時代の初期、つまり秀吉や家康と同時代の画家が描いた「縮図」というものを基にして描いたと言われています。実際に聚楽第を見たんであろうという人が描いた絵というような触れ込みですが、その真偽は実はよく分りません。
おいでよ天下人の城展
明治と平成の絵の差は大きいですね。
原さん
江戸時代には複数の絵が伝わっていて、この絵自体は明治になって描かれたものですけれども、いわゆる城郭形式だった城の様子がわかります。ただ、現代では研究の結果、天守があったとされていますが、天守は描かれていないです。

次は【122】前田玄以黒印状 下鴨役者中宛【123】豊臣秀吉朱印状 田中八右衛門尉 秀吉みずから聚楽第工事の遅れを叱責

【展示場所】(場所・番号などは変更されている場合があります)
第2章 巨大城郭の時代  四 金箔瓦の荘厳(本館7室1)
(三)聚楽第
展示番号119,120,121

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