122 前田玄以黒印状 下鴨役者中宛 名古屋市博物館蔵 前期(8/15まで)のみ
123 豊臣秀吉朱印状 田中八右衛門尉宛 天正十四年十月廿二日 大阪城天守閣蔵 後期(8/16から)のみ
【展示場所】(場所・番号などは変更されている場合があります)
第2章 巨大城郭の時代 四 金箔瓦の荘厳(本館7室1)
(三)聚楽第
展示番号122,123
第2章 巨大城郭の時代 四 金箔瓦の荘厳(本館7室1)
(三)聚楽第
展示番号122,123
前田玄以黒印状
原さん
聚楽第建設に関わる豊臣政権の奉行職の一人であり、京都の所司代職を務めた前田玄以が下鴨神社の方に出した「石を集めてこい」と命令したものです。
おいでよ天下人の城展
前田玄以は、石田三成と並ぶ五奉行の一人ですね。
原さん
要するに鴨川の河原石をもって栗石にするということで、それの献上を命じたと。三十荷、それがどのくらいの分量かよく分りませんけど、これを築城の部材として提出するようにと命じていいます。
豊臣秀吉朱印状 田中八右衛門尉宛
原さん
生々しい工事普請現場の記録です。田中八右衛門、おそらく工事現場の監督者だと思うんですけど、どうも御殿建設に当たって、いくつかの人間に担当させたんですけれど、自分の持ち場を離れて他の普請現場に行ってしまったものがいる。ワザとじゃないにしても、建物の完成を遅らせるような事があると聞いていると、以後こういったことは厳罰に処す、不正であると秀吉が指示している内容です。
おいでよ天下人の城展
天下人から直にこんな手紙が来たら、田中さんは震えたでしょうね。
原さん
とにかくこの聚楽第というのは、秀吉にとって最大のイベントを行いたい場というわけなんです。それがなにかというと、次の124番でわかります。
次は【124】聚楽行幸記 【125】聚楽懐紙草稿 秀吉の聚楽第に天皇を呼ぶ「個人宅への行幸」は天下取りへのビッグイベント
【展示場所】(場所・番号などは変更されている場合があります)
第2章 巨大城郭の時代 四 金箔瓦の荘厳(本館7室1)
(三)聚楽第
展示番号122,123
第2章 巨大城郭の時代 四 金箔瓦の荘厳(本館7室1)
(三)聚楽第
展示番号122,123