斎藤高政(義龍)書状 織田武蔵守(信勝)宛 徳川美術館蔵
第1章 天下布武への道 勝幡城・那古野城の時代(蓬左文庫第一室東側)
展示番号 28番
父・斎藤道三に対してクーデターを起こすような形となった斉藤義龍ですが、彼にとって道三と同盟を結んでいた人間は敵となります。
すると同盟を結んでいる信長は敵なので、信長の敵にあたる人物と同盟を結ぶのが手っ取り早いということに。
信長と家督相続をめぐって対立していたのが信長の弟・信勝で、この同盟が成立すると、それまで信秀・信長が築いていた道三との強固な同盟が一気に敵方となった義龍と弟の信勝に渡ることとなります。
この書状は、当時武蔵守を名乗っていた信勝に対し、当時高政と名前を変えていた斉藤義龍が送った手紙ということ。
使者を立てて近況を伺う内容ですが、こういった手紙を送る行為はすでに同盟関係ができつつあると考えられますね。
一方、信長はこの状況に対して手をこまねいていたわけではありません。信勝を稲生原合戦(名古屋市西区)で破ります。
そして信勝は信長と和睦し、武蔵守信成と名乗ったのです。
信長は敵方であった柴田勝家を味方に付けます。翌年、柴田勝家の密告により、また信勝が謀反を企んでいることを知った信長。
もう今度は許さないと、信勝を清洲城に呼び出し、ついには殺して、織田家、少なくとも織田弾正家を1つにまとめあげることになります。
程なくして、岩倉織田家などを滅ぼして尾張を手中におさめ「尾張統一」を成し遂げることになったのです。
ちなみに信勝は一般的には『信行』と言われていますが、本人が信行を名乗った形跡はなく、諱(いみな)は信勝、達成(みちなり)、信成なんですよ。
斎藤高政書状の内容(過去の徳川美術館土曜講座の解説から)
いつなのかおしえてほしい
詳しくは会って話しましょう
具体的な同盟についての記載はありません。当時の書状は、人を使わして「その人から話を聞いてください」という書き方をして、詳細の内容について記載しない場合が多い。そのため、周辺の状況やほかの史料と照らし合わせて、推測して内容を考える必要があります。
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第1章 天下布武への道 勝幡城・那古野城の時代(蓬左文庫第一室東側)
展示番号 28番