7/15~9/10開催の企画展「天下人の城」(織田信長、豊臣秀吉、徳川家康)について徹底リポート!

「天下人の城」〜徳川美術館応援団〜

展示紹介

【20】今川義元感状写 御宿藤七郎宛 進撃の義元!

更新日:

今川義元感謝状(写)御宿藤七郎(綱清)宛 徳川美術館蔵

【展示場所】(場所・番号などは変更されている場合があります)
第1章 天下布武への道  勝幡城・那古野城の時代(蓬左文庫第一室東側)
展示番号 20番
おいでよ天下人の城展
19の感状と差出人と宛名が同じですね。
原さん
この感状も19と同様に小さいことがわかります。今川氏の三河侵攻の際、上野城(愛知県豊田市)の端城(支城)を攻めた際のものです。
おいでよ天下人の城展
さきほどの19番では、攻めたのは西三河の田原でしたけど、東三河の豊田市の上野城(上野上村城とも)となると岡崎城よりも北側。ずいぶんと三河の奥まで今川義元が進出していたんですね。
原さん
内容は御宿藤七郎が城門を4つ突破した功績が抜群と賞しています。
おいでよ天下人の城展
門を4つも!
原さん
これは城の構造を知る上で面白いのです。まず「城戸を四重に切り破り」とあり、城門が4つあったことがうかがい知れる。現在の上野城跡では、遺構は殆ど分かりません。端城という表現は以降の時代にはあまり使われないのですが、この城も上野城を中心にして、周りにいくつかの館城を持つ複合形式の城であったと推測できます。
おいでよ天下人の城展
那古野城では、一番大きい今川館のまわりに、重臣たちの大きい居館が配置されていたという話でしたね。
原さん
実際に残っている図面を見ると砦のように周りを囲む支城(端城)が描かれています。その1つの支城を落とした際の感状となります。
原さん
これが書かれた天文18年(1549年)頃の今川は非常に勢いがあり、3月に家康の父、広忠が急死すると岡崎城を占拠し、織田信秀(信長の父)と三河領有をめぐる争いを激化させます。この年の3月には、織田方の安城城(愛知県安城市)攻略に失敗するものの、秋に織田方の吉良氏(西尾市)を降した後、10月に再度安城城を攻めて11月8日頃に落城させました(安城攻めに関する感状は24番)。続いてこの書状にある上野城も11月23日以降には攻略し、三河支配を確実とし松平氏を庇護下において三河国を統治しました。
おいでよ天下人の城展
今川義元、絶好調ですね。

次は【21】雛人形 人質となった幼い家康が遊んだ人形と衝撃の「誘拐冤罪説」

感状は転職に有利?

にのさん
感状というのは 合戦に参加した将士に出された文書で、手柄をほめるものなんだよ。
古くは鎌倉時代からと伝えられているよ。今でいうところの表彰状みたいなもんだね。
おいでよ天下人の城展
命がけだから、それくらいは欲しいですね。
にのさん
戦国時代だと自分のスキルの証明になるから、感状を沢山持ってる方が転職する時もかなり重要なものだったと言えるんじゃないかな?
現在だと資格沢山持ってます~みたいなアピールだよね。
おいでよ天下人の城展

ええ?そんなに簡単に転職?主君は1人じゃないの?

にのさん
それは江戸時代の武士道の考え方で、戦国時代は自分を高く評価してくれる主君のところに転職するのは普通だったんだ。仕える方も主君を選ぶ権利ってのがあったんだろうね。あの徳川家康でさえ、最初の頃は三河時代の譜代家臣に悩まされたと聞くし。武田信玄、上杉謙信も家臣には苦労した逸話は沢山あるね
おいでよ天下人の城展
御宿藤七郎はかなり良い働きをしたんですね。再仕官の為に頑張った訳じゃないけど4つも門を突破するなんて凄いですね。転職先はたくさんあったのかな。
にのさん
そうそうこの頃の中世のお城は今の名古屋城のように立派なお城ではないけど
城門を突破するって凄い事だよね

門を破る勇者とは

にのさん
ちなみに門の成立は古くは飛鳥時代からなんていわれているんだよ。鎌倉時代には絵巻物に出てくる小屋を乗せた門が描かれてるね。鎌倉時代末にはかんたんな櫓(やぐら)門も出現していたそうだよ。
おいでよ天下人の城展
ここで出て来る上野城(上野上村城)は簡単な櫓門くらいだったのかな?
にのさん
はっきりした事は分からないけど、まだ近世城郭が出来る前だから、そうかもしれないね。
おいでよ天下人の城展
近世城郭、つまり、わたしたちがイメージする名古屋城などのお城のことだけど、門にもいろいろな名前がついていて複雑です。
にのさん
近世城郭では多様な門が登場して櫓門、 薬医門、高麗門、棟門、埋門、冠木門、塀重門、長屋門と8種の門に分類できるけど、基本構造は皆同じそうだよ。
おいでよ天下人の城展
今回の天下人の城展の中でも門がどのように出てくるか注目するもの良いかもしれませんね。
にのさん

そうだね。ワクワクするね 今度おい天ちゃんと一緒に見れるの楽しみしてるね

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【展示場所】(場所・番号などは変更されている場合があります)
第1章 天下布武への道  勝幡城・那古野城の時代(蓬左文庫第一室東側)
展示番号 20番

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