7/15~9/10開催の企画展「天下人の城」(織田信長、豊臣秀吉、徳川家康)について徹底リポート!

「天下人の城」〜徳川美術館応援団〜

展示紹介

【70】 織田信長朱印状 延友佐渡守宛 まさかの親族の裏切りに「是非もなし」と信長激怒

更新日:

70 織田信長朱印状 延友佐渡守宛 元亀三年十一月十五日 個人蔵 展示期間:8月14日~9月10日

【展示場所】(予定、番号などは変更されている場合があります)
第一章 天下布武への道 3 小牧山城・岐阜城と天下布武(蓬左文庫第二室)展示番号 70番
原さん
元亀三年(1572)、信長方だった岩村城(岐阜県恵那市)が武田方に落とされた時の書状です。

武田軍の秋山虎繁(信友)が攻めてきたときの岩村城主は、もともとは地元の遠山景任(かげとう)だったのですが、急死してしまい、急ぎ妻の「岩村殿」が女城主となりました。

おいでよ天下人の城展
大河ドラマが出るまでは東海地方で女城主と言えば、この岩村城の女城主でしたよね。
原さん
彼女は、信長の叔母です。
おいでよ天下人の城展
じゃあ、徹底抗戦したのでしょうね。
原さん
ところが、この女城主が、あろうことか、そのまま養子としていた信長の息子(5男=織田勝長)を人質として武田に差し出し、降伏してしまったのです。これに信長は激怒するわけです。

今度岩村之儀 無是非題目候 (今回の岩村のことは是非無き問題)

おいでよ天下人の城展
本能寺の変の時に「是非もなし」と言ったのは、「仕方ない」と現代語訳されることが多いですけど、これを見ると激怒の表現みたいですね。
原さん
さて、女城主は秋山の妻となることで岩村領を維持することになります。 最終的に、信長が岩村城を奪還します。信長は城内のものを皆殺しにし、女城主は秋山ともども長良川で磔にされるのです。
おいでよ天下人の城展
かわいそうですが、是非もなし(仕方ない)かなとも感じます。
原さん
一方で、この書状では、岩村攻防戦で、ちゃんと抵抗して戦った地元の武士の延友佐渡守には、忠功を賞し所領を与えています。
おいでよ天下人の城展
地元では、秋山と女城主(おつやと呼ばれている)は美男美女のカップルとして伝わり、いろいろな物語が生まれています。お酒もね。

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【展示場所】(予定、番号などは変更されている場合があります)
第一章 天下布武への道 3 小牧山城・岐阜城と天下布武(蓬左文庫第二室)展示番号 70番

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