7/15~9/10開催の企画展「天下人の城」(織田信長、豊臣秀吉、徳川家康)について徹底リポート!

「天下人の城」〜徳川美術館応援団〜

展示紹介

第2章 巨大城郭の時代 四・金箔瓦の荘厳(1)安土城 天下人の城とは豪華絢爛な「新しい城」【76】近江国蒲生郡安土城之図(前期のみ)

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おいでよ天下人の城展
ここからは徳川美術館の本館の展示になります。いよいよ「天下人の城」が完成し、そして3人の天下人たちのリレーによって進化していく過程をごらんいただけます。そもそも天下人の城とはなんでしょうか?
原さん
これまで見てきたように、信長が生まれた勝幡城や、その後に居城とした那古野城、信長が居住した当時の清須城は前時代の城といえます。
おいでよ天下人の城展
石垣も天守もありませんでしたね。
原さん
一般的には高石垣を築き、礎石や瓦を用いた構造物のほか、望楼(展望台)と象徴性を兼ねた「天守」と言われる高層建造物を擁した城を、学術的には信長・秀吉の名字を執って「織豊系城郭」と称しています。
おいでよ天下人の城展
「しょくほうけいじょうかく」ですね。
原さん
従来の土を主体とした防御施設から、石垣・瓦・礎石を主体とする構造的発展を遂げた城を「新しい城」と言うことができるでしょう。その点でいうならば、安土城が一つの到達点に位置付けられます。
おいでよ天下人の城展
信長の城といえば、すぐに思い浮かぶのが安土城ですよね。
原さん
枡形虎口や高石垣の構造的な発展の末に、戦闘性・防禦性をより強化した城であると同時に、7層の高層建築に装飾を施し、己の権威の表象としての天守を城の中心構造物に据えた、これまでに無い「新しい城」が安土城なのです。
おいでよ天下人の城展
安土城にはわたしたちがお城というときに思い浮かぶすべての要素が備わっていますよね。
原さん
現在一般の人が城と聞いた際、まずは天守と石垣が浮かぶという意識は、この時代から江戸時代にかけて強く印象付けられた新しい概念です。今では日本人の心象風景になるほど、強烈な視覚効果を人々に植え付けました。
おいでよ天下人の城展
第2章のテーマである「巨大さ」と小テーマの「金箔瓦の荘厳」については。
原さん

秀吉もまた信長の構想を受け継ぎ、大坂城・聚楽第(じゅらくだ)・伏見城を防禦性以上に見せる城として演出し、主要な鉱山採掘権をほぼ独占したことにより、金箔瓦など、豊富にもたらされる金銀での装飾をより加速化させました。ゆえに「天下人の城」という言葉には豪華絢爛(じゅんらん)という意味も含まれているのです。

ウィンゲの図の情報を元にした安土城復元イラスト(富永商太・絵、千田嘉博・監修)

おいでよ天下人の城展
さっそく展示品の説明をお願いします。

【76】近江国蒲生郡安土城之図 (模写)(滋賀県教育委員会)前期(8/15まで)のみ

原さん
元図(出展品は明治29年の模写)は、江戸時代に描かれた復元想像図です。
おいでよ天下人の城展
江戸時代だと、すでに廃城となっていますよね。
原さん
はい。ここには白漆喰壁の高層天守が描かれています。全く根拠はないのですが、江戸時代の人たちが、信長の安土山の上には高層天守があったんだというイメージをもって作られたということが重要です。

おいでよ天下人の城展
現代のわたしたちが持っているお城のイメージがすでに江戸時代に出来ていたのですね。
原さん
江戸時代の人が抱いた安土城のイメージというものが面白いので、これを大阪城の天守閣さんからお借りしてきました。

次は【77】安土山遺構復元模型 謎の安土城を復元する試行錯誤

【展示場所】(場所・番号などは変更されている場合があります)
第2章 巨大城郭の時代  四 金箔瓦の荘厳(本館7室1)
(一)安土城
展示番号 76番

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