安土山遺構復元模型 昭和時代 滋賀県教育委員会
【展示場所】(場所・番号などは変更されている場合があります)
第2章 巨大城郭の時代 四 金箔瓦の荘厳(本館7室1)
(一)安土城
展示番号 77番
第2章 巨大城郭の時代 四 金箔瓦の荘厳(本館7室1)
(一)安土城
展示番号 77番
原さん
安土城の遺構を立体復元した模型です。ただ、これはちょっと取り扱い注意の模型ではあるわけです。
おいでよ天下人の城展
どういうことでしょうか?
原さん
山全体の遺構を模型化したもので、曲輪の配置なんかがよくわかります。安土城も小牧山城と同じように精力的に発掘調査が続けられてきました。この模型は、そうした発掘成果が反映させる1段階前の復元模型なんですね。
おいでよ天下人の城展
なるほど。例えばどんなところが最近の研究と異なるのでしょうか。
原さん
当初、古い図面などから考えられていたのは、大手道の下ったところの正面のいわゆる大手門と言われる場所は、沼地でそれが水堀になって巡っていた。古い図面にはその沼みたいなところに土塁が設けられていて、そこの真ん中に大手門があったと。だから、沼の中に大手門が島みたいに浮いている。そこへ土橋みたいのを渡してというふうに想像されていた。そうだろうと思っていたのです。
おいでよ天下人の城展
言葉だと分かりにくいけど、模型を見ればわかりますね。
原さん
そうしたら、最近の発掘調査で発掘したら、大手門の前は沼じゃなかった、ちゃんと広場になっていて建物もあった。 しかも、大手門以外の他に3つの虎口(入り口)があったことも分かりました。
おいでよ天下人の城展
江戸時代の情報に基づくと、だいぶ真相とちがっていたわけですね。
原さん
今まで想定された入り口の構造では無かったということがわかりましたし、今まで城外の通路だと思っていたのが実は城内の通路であったとか、そういった色んなことがわかってきて、江戸時代の伝承というのがやっぱり若干違ってきているというのがわかった。こうした発掘調査で新たにわかった部分が残念ながらこの模型には反映していないです。
おいでよ天下人の城展
信長の安土城の実態を知っていく試行錯誤の途中の段階ということですね。
次は【78-80】安土城伝米蔵跡出土金箔押鯱瓦片 安土城伝米蔵跡出土金箔押鯱瓦(復元) 安土城伝米蔵跡出土金箔押瓦
【展示場所】(場所・番号などは変更されている場合があります)
第2章 巨大城郭の時代 四 金箔瓦の荘厳(本館7室1)
(一)安土城
展示番号 77番
第2章 巨大城郭の時代 四 金箔瓦の荘厳(本館7室1)
(一)安土城
展示番号 77番