名古屋城天守金鯱鱗破片(名古屋城総合事務所蔵)・名古屋城旧本丸御殿銅瓦(個人蔵)
第7章 城の終焉(本館9室)
展示番号 221,220番
最後は名古屋城が空襲で焼けている写真と共に、金シャチの鱗を紹介します。
金シャチも一応は疎開させようとして、途中まで下したところに空襲に遭ったのです。
歴史にもしはないですけど、あと数日空襲が遅かったら、金シャチだけは残ってた可能性があります。
結局、空襲で溶けて金の塊になって、戦後はGHQに接収されましたが、返還交渉によって戻されました。
今、戻された金の塊は名古屋市が、金の茶釜にしたり、市長の部屋に置いてある名古屋市の市旗の竿頭になったりしています。
溶けた本体とは別に、凄い爆風だったため、何枚かの鱗がはがされて飛ばされて、周囲の木に引っかかったものもありました。
次々に純度を下げられ光らなくなった悲しき金シャチ
面白いのは、名古屋城の金のシャチホコは、当初は、92~96%の純金に近い慶長大判をそのまま1900枚以上を使った純度の高い金だったんですよね。
慶長大判、大判っていうのは仮に1枚百両としたところで、100万円分ですから
それが1900枚あるわけですから、100万円×1900枚。名古屋城のてっぺんに19億円、それが乗っかってたということです。
その後、元禄改鋳とかで、小判の純度が60%くらいになります。90%から60%にすると単純にいうと30%の金が得られるわけです。
そこで尾張藩も財政厳しくなってきたので、金シャチを修理をするということで金をはがして、そして何%かの金を取って、実際にそれで金貨を作るのです。
そして金の純度を下げた鱗をもう一回作って上に貼るってことを合計3回もやっているのです。
そうすると、かつて伊勢湾の漁師が名古屋城の金鯱がまぶしくて目がくらんだというオーバーな話が伝わっているのですが、ある段階から、まったく光らなくなったんで、「これはまずい」と。
空襲で焼ける前までは、名古屋城の金シャチの上には金網がかぶせられていたのです。
一応、理由としては鳥がフンをしたり、巣を作ったりするということで、鳥が寄り付かないようにするためということでした。
ですけど、本当は、金の輝きが落ちたことをごまかす為の網だったのです。
でも、鱗の全部が全部ではなかったみたいで、残されいる鱗を見ると、限りなく純金に近い輝きのものあれば、「これは銅ですか?」というくらいの赤茶けた色のもあります。
今回、そうした違いを見くらべてみてください。
金シャチののっている天守だけでなく、本丸御殿も焼けています。
その後、本丸御殿の焼け跡はしばらく放置されていました。
こういう銅瓦が現場にのこってもので、それを再回収してきた一部を今回展示します。
せっかく江戸時代を通じて残された城も、明治維新後の郭などの改変、そして第2次大戦の空襲で燃えてしまった天守や本丸御殿。
今に残った遺構や建物を大切にしてきたいですね。
またのご来場をお待ちしています。
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第7章 城の終焉(本館9室)
展示番号 221,220番