7/15~9/10開催の企画展「天下人の城」(織田信長、豊臣秀吉、徳川家康)について徹底リポート!

「天下人の城」〜徳川美術館応援団〜

展示紹介

【63】岐阜城伝織田信長居館跡出土品 山頂に住んだ信長と麓の公の空間

更新日:

岐阜城伝織田信長居館跡出土品 岐阜市教育委員会蔵

【展示場所】(場所・番号などは変更されている場合があります)
第1章 天下布武への道
三・小牧山城・岐阜城と天下布武(蓬左文庫第二室)
展示番号63番
おいでよ天下人の城展
天目茶碗などの陶磁器、鏡、そして刀…たくさんの種類のものがありますね。だいたい、発掘品だから、かけらですけど。
原さん
岐阜城は山頂部と山麓部に遺跡がありますが、麓の居館跡から出土したものです。
おいでよ天下人の城展
山頂が私邸、麓が公邸とわけていたのですね。
原さん
遺物が少ないのも特徴です。麓の居館は、公的空間である為に普段生活をしていないために 生活物が少ないのでしょう。珍しいのは地鎮祭などの刀が発見されてることで、今回出品しました。

信長時代の岐阜城の居館は千と千尋の温泉宿風?

発掘調査が進む岐阜城の麓の居館跡ですが、当時の宣教師が記録を残しています。読売新聞の連載「図解 信長の城」(6)から一部引用します。

 岐阜城の信長に注目した別の人物に、ポルトガル人のキリスト教宣教師のルイス・フロイスがいる。

フロイスは、部下でさえ入れなかった岐阜城の麓の館(山頂部にも別に私的な館があった)に招かれた。信長は「ヨーロッパやインドの建築に比べると見劣りするだろうから、あなたに見せたものか躊躇(ちゅうちょ)したが、わざわざ遠くから来たのだから私が案内しよう」と言った。
フロイスは信長とともに内部を歩き、詳細な記録を残した。それによると館は次のように「4階建て」だったと読める。

1階 絵画や屏風(びょうぶ)で飾られた約20の部屋と廊下の外にある4、5か所の庭園があった。
2階 女性たちの部屋。1階よりも美しい内装が施されていた。
3階 山と同じ高さで茶室が付いた廊下がある。
4階 3階と同様に正面からは城下町を見ることができる。そのほか、3階か4階から廊下を通って高価な宝物庫と茶室を見ている。

こうした記述から天主(天守)のような建物で復元されることがある信長の館だが、実際はどうだったのか。

城郭考古学を専門とする千田嘉博・奈良大学長(51)(*肩書年齢は掲載時)は「驚くべきことにフロイスの記述と考古学の発掘成果が合致したのです。ただし、1棟の建物ではありませんでした。段々畑のように階段状に整地した4層からなる複数の建物を合体させた建物群だったのです」と説明する。

中を歩いているフロイスもどういった構造の建物なのかあまり分かっていなかったのかもしれない。この混沌(こんとん)とした建物のデザインは次の安土城にも受け継がれる。

岐阜城の山麓館の復元イラスト(富永商太・絵、千田嘉博監修)

おいでよ天下人の城展
あとで出てくる秀吉の城で、大坂城を私の城、伏見城を公の城と分けたのも、信長の岐阜城の山頂と山麓の館の使い方を踏襲したのかもしれませんね。

次は【64】織田信長禁制写 信長が新たな支配者として与える安全保障書へ。

【展示場所】(場所・番号などは変更されている場合があります)
第1章 天下布武への道
三・小牧山城・岐阜城と天下布武(蓬左文庫第二室)
展示番号63番

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