7/15~9/10開催の企画展「天下人の城」(織田信長、豊臣秀吉、徳川家康)について徹底リポート!

「天下人の城」〜徳川美術館応援団〜

展示紹介

【147,149】江戸始図と今江戸図 400年ぶりに蘇る!徳川家康の最強の江戸城・巨大天守

更新日:

【147】江戸始図「極秘諸国城図」   松江歴史館蔵 7/15~8/13のみ (後半はパネル展示、復元イラストは通期展示)
【149】今江戸図「同」 松江歴史館蔵 8/14~9/10のみ(前半はパネル展示)

【展示場所】(場所・番号などは変更されている場合があります)
第2章 巨大城郭の時代 4・金箔瓦の荘厳(本館7室1)
(六)家康の城
展示番号 147、149番

大発見、家康時代の江戸城を詳細に描いた「江戸始図」

原さん(小久ヒロ・絵)

家康期の江戸城復元図(富永商太・絵、千田嘉博・監修)

今回の目玉の一つでございます。
「江戸始図」これは千田先生が松江歴史館にあったものを見つけて、今年2月大きなニュースとなりました。(発見は昨年2016年)

調査する過程で、私も時代の特定にお手伝いさせていただいたのですが、ちょうど同じような構図が東京都立中央図書館にある慶長江戸図というものがありまして、その内容と見比べたところ、ほぼ一緒なんですね。

大名屋敷の変遷を見ると、慶長12年~14年(1607~09)の間と限定できました。大坂城には豊臣秀頼が健在な時代です。
それならば、描かれている景観は最古の江戸図と言ってもいいのです。つまり、「德川家康が作った最古の江戸城」なのです。

最大の特長は江戸城の城として強さが分かること

ただし、都立中央図書館の慶長の同じ時期12年~14年と書いてある図があるのだから、2つあるなら珍しくないじゃないかという見解もあると思います。

が、さにあらず、都立中央図書館の図面は、江戸城の内部の構造が非常に不明確で城としての構造が良く分からないのです。

一方で、「江戸始図」は明確に石垣ラインも書いてあります。
特に優れているのは本丸の中に、さらに四角い空間がある。

これが家康の江戸城の天守なんですよね。その天守を周りにさらに多聞櫓(たもんやぐら)のように囲っている。

これは姫路城の天守と同じような天守郭(くるわ)詰丸という空間だと明確にかいてあります。

現在の江戸城跡の天守台は新しい時代の別のもの

今、江戸城に行くと本丸の中に天守台がありますけれど、独立した形式で本丸の中にポツンと建っています。

今の、というか正確に言うと、江戸時代に2回建て替えられてます。最後の天守台が焼けた後もう一回積み直された天守台が今わたしたちが見ているものなのですけど、それは周囲から独立した天守台ですね。

3代将軍家光(在職1623~51)の頃は、同じよう独立型だっただろうと言われています。

しかし、家康の頃の初代の天守がどうであったかは、はっきりと分かってなかった。
それがこの江戸始図には明確に描いてあるんです!

初代の天守は姫路城のような連立式天守 しかもサイズは比較にならないほどの巨大さ

まとめますと、天守に詰丸という天守郭(くるわ)というのが存在し、その周りを多聞櫓で囲いた姫路城のように、多聞櫓なのか複層櫓なのかは分りませんけれど、姫路城のような連立式天守だった可能性が出てきたわけです。

よく見てください。

天守の下の方の櫓が極めて巨大ですので、これは三階櫓以上のものではないかと。
複数の小天守を持つような空間があったと想定されます。

階層数など実際の立面がどうであったかはもちろん描かれていないのでわかりませんけど、平面構成が初めて確認されたこの図面は非常に貴重なんです。

写されたたのは、もしかしたら元禄5年に近い1692年前後かもしれませんけど、実は後で紹介する同じシリーズの城図面も結構、みんな古い城郭形態です。

他の城でも、古い城の図面が無いなかで17世紀に遡る図面集と言ってもいい、コレクション自体も非常に珍しい城郭図の集合体なんです。

この素晴らしい新出の資料をもとに、千田嘉博先生監修のもとで、富永商太さんが果敢にも復元天守を鳥瞰的に描いたイラストで初めて再現してもらいました。

江戸時代の人ですら知らなかった江戸前期の家康が築いた江戸城を、今ある情報でもっとも近いのではないか、という形で、見ることができるのです。

 

家康期の江戸城が描かれているとわかるまで

世間で一部、誤解されてるのは「最古の江戸城図」と言うと、図自体が作られた時期が最古なのかと思われてるんですよね。
そうではなくて、書かれてる内容・情報が最古級だということです。

これは入っていた袋があるんではっきりわかるんですけど、元禄5年(1692)という袋があって、そこの中に入っていたので、遅くとも元禄5年の時点までには存在した図面を写している。

また、この名称「江戸始図」についても、「はじめ」と言っているからには、写した当時の図面じゃないんだ、今があって始めがあるんだから、始めだけあるのは、おかしいと疑問視する人もいました。
しかし、ちゃんとあったのです。【148】「今江戸図」(8/14~)があるのですよ。
だから「今江戸図」があって「江戸始図」がある。
当然「今江戸図」という物を作られた時に、その時から見て昔の図「江戸始図」ということになるんですね。

じゃあその「今江戸図」がいつのものかいうことになると、今の東京・吹上には御三家の屋敷があって、後に吹上のお庭になるのですけど、この図面では吹上がちゃんと書いてあります。

明暦の大火が明暦3年(1657年)に起こるのですが、明暦の大火の前と後とでは江戸城を含め江戸の形が大きく変わるわけです。
これは、明暦大火の前の様子、ですから古ければ寛永年間、三代将軍家光の頃の様子を描いているといえます。
袋が少なくとも元禄5年という17世紀最末期ですから1692年ということになると、それよりも前の図面ということになるので「今江戸図」もやはり結構古い状態で、それから見て「江戸始図」ということですから、極めて古い状態であることは間違いありません。

次は【148】駿州・豆州・相州御石場絵図 地味に珍しい「石切り場」の様子

【展示場所】(場所・番号などは変更されている場合があります)
第2章 巨大城郭の時代 4・金箔瓦の荘厳(本館7室1)
(六)家康の城
展示番号 147、149番

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