7月16日に行われた記念講座「天下人の城と近世城郭」面白かったですね。
1時間半のなかに、たくさんの学びや笑いのポイントがあり、盛りだくさんでした。
その(笑いポイント)中の一つだった
![](http://tokugawa-shiro.com/wp-content/uploads/2017/06/sendasensei.jpg)
というキーワードを頭に入れて、そのあと、展示を見に行きました。
ひとつの展示の見方としてご参考にしていただければ幸いです。千田先生の真意を読み取れていなくて間違った解釈になっていたらゴメンナサイ!
「増築しまくり温泉旅館」なんて言葉は、書籍や論文では全体に表現されないので、講演会ならではですよね。
石垣からこぼれおちそうな信長の城
千田先生がこうした表現をしたのは信長の城のことについてでした。
これが今回も蓬左文庫第二室に展示されている小牧山城の復元イラストです。
【57】小牧山城主郭出土品 次々に新発見が飛び出す「信長の初めての城」
![](http://tokugawa-shiro.com/wp-content/uploads/2017/06/sendasensei.jpg)
という言葉がこの絵を見て、まずしっくり来ました。
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小牧山城復元イラスト(富永商太・絵、千田嘉博・監修)
注意が必要なのは、千田先生も講座でおっしゃっていましたが、この建物群は「確定」ではなく、通常の復元イラストに比べてもかなり想像が入っているという点です。
![](http://tokugawa-shiro.com/wp-content/uploads/2017/07/onosan-150x150.png)
小牧市教委の小野さん(小久ヒロ・絵)
一緒に観覧したこの場所を発掘調査している小牧市教委の小野さんによると、中心部分は歴史館という模擬天守がたっていて発掘できないのでわからないのだそうです。
わずかにわかるのは、ようやく1年前に発掘された正門と、「瓦がまったく出ないので瓦葺きの建物はなかったと考えられる」ということだけ。
千田先生は講座のあと東京でテレビ局の収録があるため(それでも講座は延長)走ってタクシーへと向かったので質問できなかったので、
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富永商太氏(小久ヒロ・絵)
このイラストを描いた富永さんから教えていただいたところ、
「あの狭い山頂部に、尾張の大名の邸宅に必要な要素(主殿、台所、お風呂などなど)を全部詰めたら、こうならざるをえない」
とのことでした。
岐阜城の四階建ては上にでなく横に四層
岐阜城についても、実際に訪れたルイス・フロイスが、麓の館について、「四階」と書いてあるので、天守閣のような4階建ての建物があったとかつては定説でしたが、発掘調査の結果、棚田のような段々に4層に斜めに建物群が連結していたことがわかったそうです。
今回の展示では、その岐阜城の復元イラストは展示されていませんでしたが、富永さんから提供いただきました。
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岐阜城の山麓館の復元イラスト(富永商太・絵、千田嘉博監修)
まさに「増築されまくりの温泉旅館」!
でも、これって、徳川美術館と蓬左文庫の建物関係にも似ているよね(ヒソヒソ)
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立体迷路に行くなら徳川美術館でもいいよ(館内図・小久ヒロが実測で作成、多少間違っていたらゴメンね)
だんだんと洗練された天下人の城へ
信長が「天下人の城」の創始者ではあるのですが、秀吉、家康と「天下人」が継承されていくにつれて、当たり前ですが、当初の形とは変わっていきます。
千田先生が講座で力を入れて紹介されたのは、千田先生が発見して、今年2月に松江市から発表された、德川家康が造った最初の江戸城天守が描かれた「江戸始図(はじめず)」です。
【147,149】江戸始図と江戸今図 400年ぶりに蘇る!徳川家康の最強の江戸城・巨大天守
江戸始図(8月15日まで、それ以降はパネル展示)とともに、今回の展示のために、千田先生が監修した富永さんの江戸城復元図がつくられました。
![](http://tokugawa-shiro.com/wp-content/uploads/2017/07/562993b7938a495dc130dfa52b2d3121-1024x721.png)
家康期の江戸城復元図(富永商太・絵、千田嘉博・監修)
千田先生によると、一番大きい天守の高さは石垣の下(地面)から約68メートルにもなるのだそうです。
そして、特徴的な複数の天守が結ばれた姫路城のような「連結天守」です。
千田先生は、資料から「権現さま(家康)好み」のスタイルだと説明しました。
この頃から、天守の形も、層塔型といわれるすっきりしたまっすぐなデザインで、色も漆喰の白になっていくようです。
たまたま、午前中に、家康が造った名古屋城を案内していましたが、その参加者のおひとりが「すごく広いけど、すべてがまっすぐな直線でできている感じ」と言っていましたが、上の江戸城の絵を見ても、まさにそうした合理的なデザインが「家康好み」なのかもしれないと、講義を聞いて思いました。
増築しまくりの温泉旅館で「今、どこにいるのかわからない!!たのしーーーい」と言うのと、
新宿の摩天楼を見上げて「東京、すごーーーーい」と言うのの違いであって、どちらが優れているわけではないと思いますが、
私好みでは、信長の城のごちゃごちゃ感が少し好き度が高いかなと。みなさんはどちらが好みでしょうか?
信長の城のコンセプトを受け継ぐ男?金森長近
千田先生の講座では、信長がはじめた天下人の城のコンセプトが、とくに「求心性」であるとか、外枡形や馬出しなどが、のちの城に引き継がれていくことを中心にお話されました。
しかし、むしろ引き継がれなかった「温泉旅館」の要素についても、先生は少し触れられていました。
先生がどうしても見たい!と原さんに要請して展示されることになった
【156】大野城図(修築普請届図控)千田先生がどうしても見たかった金森長近が造った越前大野城とは(前期のみ)
大野城(福井県大野市)の図です。
今は、いわゆる「なんちゃって天守」が建っているのですが、当時の山頂部の建物の様子は石垣が残っているだけでよくわからなかったのだそうです。
それが、蓬左文庫が持っている古地図によって判明したのです。
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と原さんもうなった一品です。
さて、これも小牧市の小野さんにも見てもらったのですが、
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小牧市教委の小野さん
小野さん あっテラス、ありますね…
テラスとは、千田先生が近年提唱して話題となっている安土城天守に、清水寺の舞台のようなテラスがあったという説です。
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今回展示されていませんが安土城にあったテラスの復元図(富永商太・絵、千田嘉博・監修)
大野城主の金森長近は信長の直臣です。
岐阜県高山市にある高山城を、大野城のあとで造っているのですが、これまたおかしな変態的な城として、お城ファンの間では知られています。
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よい意味で変態的な城と評価されている高山城(富永商太・絵、千田嘉博・監修)
「権現さま(家康)好み」という洗練された城作りの流れからすれば、外れている金森長近というあまり有名ではない武将が、実は「信長の城」のエッセンスの一つである
「増築しまくり温泉旅館」のワクワク感を引き継いだ、ある意味で「天下人の城」の継承者なのかもしれないと、感じた鑑賞でした。
ということで、
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「おっ、わしの凄さにようやく気づいてくれたの?」金森長近(富永商太・絵)