7/15~9/10開催の企画展「天下人の城」(織田信長、豊臣秀吉、徳川家康)について徹底リポート!

「天下人の城」〜徳川美術館応援団〜

展示紹介

【158】甲府城図(「極秘諸国城図」十八)4歳の徳川義直が初めて城主になった時の甲府城

更新日:

甲府城図(「極秘諸国城図」十八) 松江歴史館蔵  7/15~8/13まで期間限定展示

【展示場所】(場所・番号などは変更されている場合があります)
第2章 巨大城郭の時代  四 金箔瓦の荘厳(本館7室1)
(六)家康の城
展示番号158
原さん
甲府城は、尾張藩の初代藩主・徳川義直が4歳の時に名目上甲府城の城主になるんです。 彼にとって初の城主となったお城が甲府城なんです。
おいでよ天下人の城展
え!そうなんですか。義直は尾張にずっといるイメージでした。
原さん
義直が8歳の時に尾張に来ることになりますが、この図に何人かの関東代官職を務めた旗本衆の名前が書いてあります。 そこに彼らの屋敷があるということは、甲府城が幕府直轄領になった時の図面であるということではないかと。 そして旗本衆の一人・田中又右衛門が寛永19年に歿していることが判明しました。
おいでよ天下人の城展
旗本衆の死んだ年齢からどんなことがわかるんですか?
原さん
この図が3代将軍・家光の頃の甲府城の様子であることから、最古級の甲府城絵図であるということがわかります。家光の弟・松平忠長が改易されて切腹申しつけられた後、後の甲府徳川家となる徳川綱重が甲府藩主となる間までの「第一次・徳川家直轄領だった時代(寛永9年~19年の間)」と限定できるのです。
おいでよ天下人の城展
甲府城の初期の姿を見られることが最大のポイントなんですね。
原さん
甲府城は武田家滅亡後、家康の領有を経て、天正18年(1590)以降、豊臣系大名が在城しました。現在もある石垣などの遺構は、この時のものだと思われます。天守もありますが、それが建っていたかどうかはまだ論証中です。

次は【159】遠江横須賀城図 【160】遠州濱松城図 横須賀城が海沿いだった頃と、最古の浜松城の様子

【展示場所】(場所・番号などは変更されている場合があります)
第2章 巨大城郭の時代  四 金箔瓦の荘厳(本館7室1)
(六)家康の城
展示番号158

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