7/15~9/10開催の企画展「天下人の城」(織田信長、豊臣秀吉、徳川家康)について徹底リポート!

「天下人の城」〜徳川美術館応援団〜

展示紹介

【157】越前福井城図(「極秘諸国城図」四十)天守が焼失する前に書かれた福井城

更新日:

越前福井城図「極秘諸国城図」の内  松江歴史館蔵  7/15~8/13まで期間限定展示

【展示場所】(場所・番号などは変更されている場合があります)
第2章 巨大城郭の時代  四 金箔瓦の荘厳(本館7室1)
(六)家康の城
展示番号157
原さん
ここから162番までは、数ある松江歴史館の資料の中から、特に徳川に関係する城に関するものを選び貸していただきました。
おいでよ天下人の城展
江戸始図が含まれる松江歴史館の「極秘諸国城図」ですね。
原さん
まずは福井城から。こちらは慶長6年(1601)に結城秀康(越前松平氏)の居城として、天下普請で築城されました。五重の堀と2キロメートル四方の城域を持ち、本丸北西部に四重五階の天守を擁した立派なお城です。 天守は寛文9年(1669)に焼失したので、それ以降は本丸の南西二重櫓を三重五階に改装して天守の代わりにしました。
おいでよ天下人の城展
火災後は天守の形も変わったんですね。
原さん
この図は明暦二年(1656)頃から存在が確認できる「御泉水屋敷」という藩主別邸が、お城の北側に描かれています。 これは今でも残ってますけど養浩館庭園のことで、元の名前が「御泉水屋敷」といい、福井市の歴史博物館のすぐ東側にあります。
そこに「御泉水屋敷」と書いてありました。 もしこの図の描写が正しいならば、明暦2年以降で天守が焼失する寛文9年までに描かれた図ということになりますね。 天守が書いてあるから必ずしも実景とは限らないんですよ。

おいでよ天下人の城展
素人目には昔の図=真実という風にイメージしてしまいますが・・・。

次は【158】甲府城図(「極秘諸国城図」十八)4歳の徳川義直が初めて城主になった時の甲府城

【展示場所】(場所・番号などは変更されている場合があります)
第2章 巨大城郭の時代  四 金箔瓦の荘厳(本館7室1)
(六)家康の城
展示番号157

絵に描かれている情報と現在の姿との違い

おいでよ天下人の城展
絵にあるから、すべてそれが正しく描写したとは限らないんだ。難しいところですね。
にのさん
松江城については「正保城絵図」でも、描かれた天守が現在の天守の姿とは違うんだよ

正保国絵図 正保元年(1644)に、江戸幕府が、城や国全体の詳細な地図を調べて届け出るように命じた国家プロジェクトでできた城の図面。

おいでよ天下人の城展
松江城と言えば昨年、国宝に指定されたお城ですね。今回の「極秘諸国秘図」は松江藩が持っていたとかんがえられるけど松江城の地図は含まれていなかったのですよね。

千田先生
「江戸始図」を収める『極秘諸国城図』(74枚)は、出雲松江藩主だった松平家が城主の軍学勉強のために編纂を命じた城絵図集だったと、私は考えています。 松江市がこの『極秘諸国城図』を入手したのは1953年で、松江市民が市に寄贈したとのことです。 そこに松江城の絵図が含まれていなかったことから、これまで松江市では研究の対象とはされていませんでした。 松江藩は自分の城は熟知していましたから、軍学勉強用の絵図集に松江城を入れなかったのは当然でした。
『江戸始図でわかった「江戸城」の真実』(宝島社新書)より引用)

にのさん
「正保城絵図」には実は今の松江城にはないものが描いてあるんだ。1重目と2重目には千鳥破風があって、4重目には唐破風が描かれているの。

国宝松江城ホームページより

 

おいでよ天下人の城展
千鳥破風とは、破風の端が屋根の端に接していない小さな装飾的な破風ですね。唐破風は三角形でなく、帽子のように丸いラインのものですね。上の写真を見ても、今の松江城にはないですね。 どういう事でしょうか?
にのさん
従来は「正保城絵図」の誤記とされていたのだけど
幕府に提出するもの絵図でそんな誤記なんてありあり得ないと考えると
現在のお城が創建当時の姿を維持したままとは考えにくいよね
おいでよ天下人の城展
確かに、現代の女性も美しさを維持するために、色々と大変な工夫をしていますね。生まれたままの姿でずっとはいられないというのは人もお城も一緒ということなのでしょうかね。
にのさん
そうだよね。だから幾ら絵図に描かれていると言っても、必ずしも現在もそのままの姿ではないって事を頭に入れながらお城や絵図を見ると楽しいかもね~。ちなみに松江城は別名「千鳥城」と言われる所以はそこからかもね。
おいでよ天下人の城展
今はもう千鳥がないのに笑。ちなみに千鳥は、鳥が装飾されているのではなく、千鳥は両足を接して立つことはなく、常に1本足で立っていることから、千鳥破風も屋根の端に接していないという意味なんでしょうね。原さんの「千鳥香炉」の説明の受け売りですけど。

次は【158】甲府城図(「極秘諸国城図」十八)4歳の徳川義直が初めて城主になった時の甲府城

-展示紹介

Copyright© 「天下人の城」〜徳川美術館応援団〜 , 2024 AllRights Reserved.