洛中洛外図屏風 徳川美術館蔵 前期8/15まで
二条城御城絵図 蓬左文庫蔵
【展示場所】(場所・番号などは変更されている場合があります)
第2章 巨大城郭の時代 4・金箔瓦の荘厳(本館7室1)
(六)家康の城
展示番号 152,153番
第2章 巨大城郭の時代 4・金箔瓦の荘厳(本館7室1)
(六)家康の城
展示番号 152,153番
おいでよ天下人の城展
二条城関連の絵図2つですね。 二条城は慶長六年(1610)より天下普請で築城が開始されたんですよね。
原さん
その二条城を中心に据え、右京と西山を背景に描く洛中洛外図で、この屏風はもとは六曲一双だったが左隻のみ現存しています。 徳川政権が秀吉の聚楽第行幸に習って行った後水尾天皇の二条城への行幸の様子で、天皇乗輿の輦を中心に華麗な行列が描かれていますね。この行事は二代将軍秀忠によって執り行われたものなんです。
おいでよ天下人の城展
秀忠が行ったんですね。家康かと思いました。
原さん
二条城は、行幸のために寛永元年(1747)より拡張普請が行われています。 元の天守は淀城へ移し、新たに伏見城から天皇を迎える為に敷地も拡張しながら、伏見城天守を移築したのです。
ちなみにこれは模式図なんですけれど、徳川の京都政庁であった様子が洛中洛外図に書かれている点が注目ポイントです。あまり公開しない屏風ですが、今回は二条城ということでお出しします。
おいでよ天下人の城展
次は二条城御城絵図。何が書いてあるんですか?
原さん
これは元和五年(1620)に二代将軍秀忠の五女・和子を後水尾天皇へ入内させるために拡張普請が行われ、寛永元年(1624)以降に拡張された二条城の図面です。 二条城は徳川の京都政庁としての城ですが、今のような凸型になってるのは、西側の本丸部分の拡張した部分です。
現存する建物の多くはこの時の拡張時に建てられたものが大半なので、現在の様子と比較という意味で展示いたします。
現存する建物の多くはこの時の拡張時に建てられたものが大半なので、現在の様子と比較という意味で展示いたします。
次は【154】駿州府中城図 家康大御所時代の様子がわかる1枚
【展示場所】(場所・番号などは変更されている場合があります)
第2章 巨大城郭の時代 4・金箔瓦の荘厳(本館7室1)
(六)家康の城
展示番号 152,153番
第2章 巨大城郭の時代 4・金箔瓦の荘厳(本館7室1)
(六)家康の城
展示番号 152,153番