7/15~9/10開催の企画展「天下人の城」(織田信長、豊臣秀吉、徳川家康)について徹底リポート!

「天下人の城」〜徳川美術館応援団〜

展示紹介

【81】【82】安土城搦手道湖辺部出土金箔押瓦など 使われなかった金箔瓦はピカピカ 

更新日:

【81】安土城搦手道湖辺部出土金箔押瓦 【82】安土城金箔押軒丸瓦・軒片瓦(復元)

【展示場所】(場所・番号などは変更されている場合があります)
第2章 巨大城郭の時代 (本館7室①) 4・金箔瓦の荘厳
展示番号 81、82番

原さん
鯱瓦に続いて、搦手道から出てきた金箔瓦で、報告書の解説によると「未使用の金箔瓦」とのこと。 搦手道は道なので建物は建っていたとは考えられません。 本来そこに金箔瓦がある建物がある場所でないところからの出土品ということですが、これはなぜだと思いますか?
おいでよ天下人の城展
うーん、わからないですね。

原さん
搦手道は作業道で、上に運ぶ時に落としたものが地中に埋まってしまったままの状態だったと考えられます。
おいでよ天下人の城展
うっかり落としたものができてたのですか。
原さん
金箔瓦は屋根の上にあげるので普段、台風や雨にさらされるのでこまめなメンテナンスが必要です。かなり他のお城では金箔が剥がれている中で、一切使われなかった未使用の金箔瓦として貴重なものなんです。
原さん
82番の「安土城金箔押軒丸瓦・軒片瓦」ですが滋賀県教育委員会に事務所に置いてあったもので、軒丸瓦・軒片瓦の復元したものです。どうやって金箔瓦が貼ってあったのが構造的に良くわかるものなので、こちらもじっくり見てみて下さい。

こちらは応援団の歴女医マリ先生による、安土城の金箔瓦の萌えキャラ「金箔 かわら子ちゃん」です。
出身はもちろん安土。

おいでよ天下人の城展
未使用瓦なだけあって、キラキラしていてアイドルチックな感じ!よろしくね。

金箔瓦について

おいでよ天下人の城展

金鯱も名古屋城の専売特許だと思っていましたが、そうじゃなかったですね。それにしてもどうして安土城の瓦の年代がわかるのでしょうか?

 

 

にのさん
安土城の築城が天正4年(1576)からで、完成が天正7年(1579)。天正10年(1582)に本能寺の変で信長が討たれてしまい、その後で燃えてしまったという経緯から絞り込むことができるんだよ。
おいでよ天下人の城展
金箔瓦は、信長と秀吉では同じ金箔瓦でも金箔のはりかたが違うんですね。
にのさん
信長は凹んだ部分に金箔を使用していますね。秀吉は凸の部分にも金箔を使用ですね。
おいでよ天下人の城展
ほんとだ。
にのさん
これは性格上の違いかもしれませんが、秀吉は天下人にだけに許された金箔瓦が使用された城を早く作らなければ成らない事情があったからだろうね。金箔をはりやすい場所に(凸部分)使用し作業効率をあげたとの説もあるよ。
おいでよ天下人の城展
現代でも新社長ともなると、部下の信頼を得るの事も重要な事ですからね。秀吉もみんなから天下人と認めてもらうことに知恵を絞ったのですね。
にのさん
その偉業を最初にやってのけた信長はやっぱり凄いね。今回の展示品もそのあたりを楽しみながら拝見しよう。
おいでよ天下人の城展
あれ?そうすると岐阜城のところで見た金箔瓦は、信長の時代でなく、秀吉の時代になるのかな?地味と思っていたけど、瓦からも色々なことがわかって、面白いですね。

 

次は【83・84】今回の目玉のひとつ。安土城完成祝いの品で信長公記にも登場した「唐物茶壺 松花・金花」

【展示場所】(場所・番号などは変更されている場合があります)
第2章 巨大城郭の時代 (本館7室①)
4・金箔瓦の荘厳
展示番号 81、82番

-展示紹介

Copyright© 「天下人の城」〜徳川美術館応援団〜 , 2017 AllRights Reserved.