7/15~9/10開催の企画展「天下人の城」(織田信長、豊臣秀吉、徳川家康)について徹底リポート!

「天下人の城」〜徳川美術館応援団〜

展示紹介

【204~206】名古屋城の金鯱のパーツで作った棗(なつめ)、五徳、前立 金でなくても金になるこれいかに?

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【204】千歳棗(名古屋城金鯱芯木) 【205】炉用五徳(名古屋城天守金鯱使用鎹転用) 【206】三十ニ間筋鉄兜・金箔置羊歯葉形前立(天守金鯱心木古材) いずれも徳川美術館蔵

【展示場所】(場所・番号などは変更されている場合があります)
第5章 東海の要衝(本館7室②)
(三) 名城修復
展示番号204-206番

修復すると、部材も取り替えられます。
やっぱり解体してみたら、古くなった、さびた、場合によってはシロアリに食われたかもしれないし、朽ちてしまったものもあるかもしれません。

徳川美術館には、そのかつての名古屋城の金鯱の部材で作ったものがあります。
金鯱を天守と接続するために「芯木」という木材があります。
それを再利用したのが、【204】と【206】です。

【204】の棗(なつめ)は、お茶会で抹茶を入れる入れ物です。
【206】は、幕末の殿様、徳川慶勝が被った兜の前立てのところがシダの立物なのですけど、これが金のしゃちほこの芯木をもとにして作ったものなのです。

同じく固定するための鉄の鎹(かすがい)も再利用されました。

【205】は、炉用の五徳といってお茶会の時に、窯をのせる五徳ですね。

徳川美術館に伝来するものだけでなく、結構、この名古屋近辺では、名古屋城の古材を再利用したこうした道具があるのです。
古美術商や個人の方が持ってるんです。

これはどういうことかと言うと、要するに借金帳消しの材料なんです。

名古屋城の古材、さらに金のしゃちほこの部材などというものは、そんじょそこらの平民が持てるものではありません。

たしかに木曽のヒノキには違いないでしょうけど、とにかく金のしゃちほこを支えていた大変貴重なものであると。

それで作った道具だと。

こんな素晴らしいものを持てるお前はなんて果報者だ、だから借金帳消しにしてくれ。

そういう話になるんです(笑)。それだけの価値がある。

借金帳消しと言わないにしても、これだけの献金をしてくれたありがとう、その代わりにこれだという方法もあります。

ほかの藩などでもあるのは、殿様の自筆の書をばっとあげるというのです。

町人風情が殿様の直筆の書を持てるわけがない、これだけでどれだけありがたい、お前は特別だという特別感!

「ははあ」と貰って家宝にしますみたいになったわけですけど、たいがい明治以降、分散してしまいます。

中には大切に残している家があります。

それでも書の場合は、元地が紙なのか絹なのかによっても差がある。

名古屋城の普通のやぐらの部材なのか天守の部材なのかによってもやっぱり格が違う。さらにその上でもしゃちほこの部材となると、最上級ですね。

もっとすごいのは、天守の金名水の水で書いた絵というのもちゃんとわざわざ書いてあって残っています。

「金名水」とは、天守の地下に井戸があるじゃないですか。あそこの水を使って描いた絵はすごい価値感がある。

たぶん、あの周辺はみな同じ地下水脈だとは思うんですけどね。それでも価値が違う。

次は【207~215】最後の名古屋城主 尾張藩14代代徳川慶勝が撮影した名古屋城の生写真!

威信も保てるカッコウの「名古屋城ビジネス」

今回の204番・205番は十二代斉荘公の作らせた品ですが、その前の十一代斉温公の頃から尾張藩の財政状況はどんどん悪化していったようです。

藩のお金が足りないときには、「調達金」という名前の借金をします。利子としていくら払いますといってお金を借りる方式です。
斉温公の時代、天保期に入ると、それまで都度募集していた調達金を、毎年募集するようになります。
天保4年まではまだいいのですが、天保5年以降はお金だけで返済できずに米切手というものとお金をとりまぜて返済したり、利子だけを返済したり。
斉荘公が家督を継いだ天保10年には利子の支払すらあやうい状態になります。

米切手というのは、幕府から許可を得て藩内の一部で流通していた独自通貨のようなもののようです。
(参考資料には米札という単語も出てくるのですが、前後の文脈から同じものを指しているとおもわれます。)
経済が発展している間はよいのですが、藩財政が悪化すると、米切手の信用は失われていきました。
更に、天保12年、米札発行の延期願いを幕府に出したところ不許可。回収を命じられました。
実際に回収が行われたのは弘化2年から嘉永元年、十三代慶臧公の頃でした。
そして米切手回収のためにさらに借金が増えたところで嘉永2年、十四代慶勝公が家督を継ぎました。

参考とした、杉本精宏著『尾張藩財政と尾張藩社会』 (2011年)は、 尾張藩に対してきつめの書き方をしたものなので、そのとおりに読んでいいのか、多少割り引いて読むべきか少し悩むところです。
が、慶勝公就任時点での借金額が膨大であったことは間違いありません。

このあたりのことを調べてみたい方は、名古屋市鶴舞図書館の郷土資料コーナーか蓬左文庫閲覧室にお立ちよりください。
調べだすとなかなか深く、おもしろいですよ。

まとめ セツカ

以下はいずれも、鶴舞図書館あるいは蓬左文庫閲覧室で読むことができる資料です。
『写真家大名・徳川慶勝の幕末維新』NHKプラネット中部編
『尾張の殿様物語』徳川美術館図録
『幕末の尾張藩』横井芳昭著
『名古屋城青松葉騒動 明治維新秘話』水谷盛光著 ※増補版を名古屋城売店で売ってます
『尾張藩の幕末・維新』木原克之著
『尾張藩幕末風雲録―血ぬらずして事を収めよ』渡辺博史著
『幕末尾張藩の深慮遠謀―御三家筆頭の尾張が本当に何もしていなかったのか』渡辺博史著

『金鯱叢書』
「徳川慶勝の写真研究と撮影写真(上)」岩下 哲典
「徳川慶勝の写真研究と撮影写真(下)」岩下 哲典
「東海道筋における尾張藩の「勤王誘引」活動」上野 恵
「慶応三年における尾張徳川家の政治動向」藤田英昭
「幕末・維新期における尾張家の撮影写真と技術開発」白根 孝胤
「尾張家一四代徳川慶勝の藩政改革と櫨木植栽」藤田 英昭
「明治初年における徳川慶勝の動向と撮影写真」白根 孝胤
「幕末の徳川将軍家と尾張家十五代徳川茂徳」藤田 英昭
「徳川慶勝の上京と京都体験」藤田 英昭

次は【207~215】最後の名古屋城主 尾張藩14代代徳川慶勝が撮影した名古屋城の生写真!

【展示場所】(場所・番号などは変更されている場合があります)
第5章 東海の要衝(本館7室②)
(三) 名城修復
展示番号204-206番

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