織田信長禁制写(原本 永禄十年=1567年) 岐阜市歴史博物館 蔵
【展示場所】(場所・番号などは変更されている場合があります)
第1章 天下布武への道
三・小牧山城・岐阜城と天下布武(蓬左文庫第二室)
展示番号64番
第1章 天下布武への道
三・小牧山城・岐阜城と天下布武(蓬左文庫第二室)
展示番号64番
信長が岐阜へ入城した当初に出した禁制です。
おいでよ天下人の城展
禁制とはなにですか?
原さん
禁制とは寺社や町が、侵攻する軍勢に対して金銭を献納して得る安全保証書です。岐阜城の城下町の北加納(岐阜市)に対し、この町への乱暴狼藉(らんぼうろうぜき)や材木の勝手な採取などを禁止し、これまでの権益を認めたものです。
おいでよ天下人の城展
次に出てくる制札は、「禁制」を木の札に書いたものになるわけですね。
次は【65,68,69】 織田信長制札 千手堂宛ほか 美濃を制するものは天下を制す 信長の美濃攻略を裏付ける貴重な3点セット
34歳の信長、美濃を征服し、2国にまたがる戦国大名に
おいでよ天下人の城展
美濃を征服した信長はどんな状態だったのかな?|・`ω・)ちら
にのさん
呼ばれて飛び出るにのです!お答えしましょう!
おいでよ天下人の城展
よろしくお願いします!
にのさん
この禁制は永禄10年(1567)なので、織田信長は34歳の時だね。あらたに井ノ口や稲葉山城を岐阜や岐阜城と改名し信長の勢いが増してきた頃だよ。
おいでよ天下人の城展
地名を変えるなんて、相当調子にのっ、いや力をつけていたいのですね。
にのさん
その信長に朝廷から援助の申し出がきたんだ。
おいでよ天下人の城展
扇阿智天皇綸旨案。下の写真ですね。
にのさん
綸旨(りんじ)には信長の事を「古今無双之名将」と絶賛しているんだ。そして、信長に美濃・尾張領国の御料所(皇室領)の回復を命じている。
おいでよ天下人の城展
綸旨とはなんでしょうか?
にのさん
蔵人(天皇の秘書のような人)が天皇の仰せで受けて蔵人自身の名前で発する文書の事なんだ。この時の天皇は正親町天皇だね。
おいでよ天下人の城展
うまく信長を持ち上げて、献上金をくださいって言っているようですね。
麒麟の花押
にのさん
もうひとつ制札や禁制などで使用される信長の花押(サイン)にも注目してほしいね。
にのさん
頻繁に花押を変えた信長だけど、この禁制に使用された花押は比較的後期に属するのがわかるかな?
おいでよ天下人の城展
中国の伝説の幻獣で、聖天子が現れるときに地上に現出するという麒麟(きりん)の「麟」がベースとなってるというデザインですね。上の写真だと、下から5番目からでしょうか。
にのさん
この花押を使用し始めた時期は、永禄8年(1565)11月3日付の坪内文書が初見とされているんだ。使い始めた理由は諸説あるけど、永禄8年将軍足利義輝が三好三人衆に白昼攻撃され暗殺された事件に大きな衝撃を受け、変更したとも言われているよ。
おいでよ天下人の城展
こんなに頻繁に変えたら自分でも忘れないのでしょうかね。
にのさん
偽造防止を目的に変えたとも考えられているんだ。
おいでよ天下人の城展
えらい人はいろいろ大変ですね。
次は【65,68,69】 織田信長制札 千手堂宛ほか 美濃を制するものは天下を制す 信長の美濃攻略を裏付ける貴重な3点セット
【展示場所】(場所・番号などは変更されている場合があります)
第1章 天下布武への道
三・小牧山城・岐阜城と天下布武(蓬左文庫第二室)
展示番号64番
第1章 天下布武への道
三・小牧山城・岐阜城と天下布武(蓬左文庫第二室)
展示番号64番