(二)清正伝説
【191】加藤清正坐像 附 厨子 名古屋市秀吉清正記念館蔵
【192】名古屋城郭図屏風 名古屋市博物館蔵(前期~8/15)
【193】名古屋城俯瞰図 同館蔵(後期8/16~)【194】堀川図屏風 同館蔵(後期)
第2章 巨大城郭の時代 五 東海の要衝(本館7室2)
(二) 清正伝説
展示番号191-194
名古屋城を作ったのは誰なのか?よく言われるのが加藤清正です。
実際の名古屋城を作ったのは、徳川家康です。
天守などを始めとする建物群は秘密事項なので徳川の大工頭中井家などが築き、実際、清正が作ったのは天下普請をした石垣までで天守までは建ていません。しかし、天守そのものまでも清正が築いたように思われています。(さらにいえば、天下普請には清正以外にも前田利常や福島正則、黒田長政をはじめ20の大名が関わっています。
清正が名古屋出身とはいえ、なぜ「名古屋城=清正」となったのか。そこにはいくつかの残された清正に関する伝承・伝説が関係しています。そうしたことをこのコーナーでは紹介します。
その一つが、この「加藤清正坐像」です。
名古屋市中村区の豊国神社のそばにある図書館内にある名古屋市秀吉清正記念館の所蔵です。
清正は改易された大名の中では珍しく、猛将としての清正が評価され「清正公(せいしょうこう)様」と呼ばれる神となります。治病・厄除け等の災いを取り除いてくれる神様です。
城主を務めた熊本発祥ですがが江戸にもお寺が作られている。神となったこと、そして日蓮宗の信者であったため日蓮宗の御法神(守護神)となります。
【192】から【194】は、名古屋城を描いた様々な絵です。三の丸の重臣屋敷を描いたもの、江戸時代後期の名古屋城の風景を描いたもの、築城時の大動脈であった堀川をとおして見た名古屋城の図です。
次は【195,196】加藤清正書状 瀧川豊前守ら宛 名古屋城天守台隅石拓本「加 肥後守内中川太良平」天守台の石に加藤家のサインを彫った豪胆
第2章 巨大城郭の時代 五 東海の要衝(本館7室2)
(二) 清正伝説
展示番号191-194