近衛前久書状 寿命院宛 (文禄五年)閏七月十四日 大阪城天守閣蔵 後期8/16~のみ
【展示場所】(場所・番号などは変更されている場合があります)
第2章 巨大城郭の時代 四 金箔瓦の荘厳(本館7室1)
(五)伏見城
展示番号139 番
第2章 巨大城郭の時代 四 金箔瓦の荘厳(本館7室1)
(五)伏見城
展示番号139 番
京都の公家、近衛前久(さきひさ)が、出した書状です。
伏見城が倒壊した文禄5年の地震に関する見舞状で、多武峰寺(奈良県)というところにありました寿命院というご住職に送った内容です。
文禄大地震では、方広寺大仏殿や伏見城なんかも、被害を受けましたし、ここに記録上で「城中」とありますのは、大和国を治めていた、大和郡山城の被害の事を言っているんだと思いますが、ちょっとその辺読みづらいところもあります。
知り合いの一晏法印という人が、大手櫓(やぐら)でたぶん圧死したというような事も書いてあり、その当時の地震の様子がよく分かる記録です。
次は【140~143】伏見城跡出土の金箔瓦 天下人だけでなく大名たちの屋敷も金ピカだった
【展示場所】(場所・番号などは変更されている場合があります)
第2章 巨大城郭の時代 四 金箔瓦の荘厳(本館7室1)
(五)伏見城
展示番号139 番
第2章 巨大城郭の時代 四 金箔瓦の荘厳(本館7室1)
(五)伏見城
展示番号139 番