26.斎藤道三書状 織田玄蕃允(秀敏)宛 名古屋市博物館蔵
【展示場所】(場所・番号などは変更されている場合があります)
第1章 天下布武への道 勝幡城・那古野城の時代(蓬左文庫第一室東側)
展示番号 26番
第1章 天下布武への道 勝幡城・那古野城の時代(蓬左文庫第一室東側)
展示番号 26番
美濃の斎藤道三から信長の大叔父、織田玄蕃允(秀敏)に宛てた書状。ちょうど信長が織田家の家督を継いだ時に、鳴海城の山口氏が裏切ったり、弟・信勝との間にも対立があるなど家中が不安定な状況であった。
道三は娘を信長に与えており、斎藤家は『信長』との同盟関係を結んでいるので、そういう家中が不安定な状態は不愉快であると書状で述べている。
そこで一族の長老である秀敏に信長の後見を頼み、よろしく信長を補佐して欲しいと依頼する内容である。秀敏は信長の祖父・信定の末弟にあたり、信秀の叔父、信長の大叔父にあたる。秀敏は一族の長老として信長を支え、天文2年(1552)には信長より尾張国中村三郷(名古屋市中村区)を賜っている。
おいでよ天下人の城展
道三は信長を高く評価していたんですよね。
原さん
それもあるでしょう。ただ、道三としては、自分が同盟を結んだ信長がつまずいてしまうと、新たに織田家内の権力を奪った側と敵対関係になることは目に見えているので、道三にとって信長は盛り立ててもらいたい相手でした。
おいでよ天下人の城展
打算と戦略も強かったのですね。
原さん
しかし、斎藤家と信長の同盟は破れてしまうこととなるのです。
→【27】斎藤范可(義龍)禁制写 美江寺宛 美濃で起きた道三追放の軍事クーデターへ
【展示場所】(場所・番号などは変更されている場合があります)
第1章 天下布武への道 勝幡城・那古野城の時代(蓬左文庫第一室東側)
展示番号 26番
第1章 天下布武への道 勝幡城・那古野城の時代(蓬左文庫第一室東側)
展示番号 26番