【15】水野忠政画像 名古屋市博物館 前期のみ(8/15まで)
【展示場所】(場所・番号などは変更されている場合があります)
第1章 天下布武への道 1 勝幡城・那古野城の時代(蓬左文庫第1室東側)
展示番号 15番
第1章 天下布武への道 1 勝幡城・那古野城の時代(蓬左文庫第1室東側)
展示番号 15番
原さん
尾張国・知多半島の北部を領した水野忠政(1493〜1543)の画像です。忠政は家康の母・於大の方の父であり、家康にとっては外祖父にあたります。三河国の緒川城(愛知県東浦町)を居城とし、天文2年(1533年)には碧海郡西部(刈谷市など)にも進出して刈谷城を築きました。忠政の時代には織田・松平どちらともに親交を持っていましたが、やや松平家寄りの態度を示しており、娘を松平広忠に嫁がせ同盟関係を結んでいます。於大は15歳で家康を生みますが、忠政の死後に家督を継承した嫡男・信元が織田氏との関係を強めたため松平氏とは断絶し、於大は離縁されます。
おいでよ天下人の城展
於大は離縁の3年後に知多郡・阿古居城(阿久比町)の城主・久松俊勝に再嫁したんですよね。俊勝との間には3男3女をもうけています。桶狭間の戦いののち、今川から独立した家康は母の再婚相手、俊勝と異父弟3人に松平姓を与えて家臣として召し抱え、於大を母として迎えました。久松松平氏は掛川城主(静岡県掛川市)や桑名城主(三重県桑名市)を務めていますね。
水野氏については、読売新聞の「探訪 東海百城」で、水野忠政の孫(つまり家康のいとこ)の水野勝成について紹介しています。
次は【16】知多郡緒川村古城絵図 緒川城、刈谷と並ぶ水野氏の本拠
【展示場所】(場所・番号などは変更されている場合があります)
第1章 天下布武への道 1 勝幡城・那古野城の時代(蓬左文庫第1室東側)
展示番号 15番
第1章 天下布武への道 1 勝幡城・那古野城の時代(蓬左文庫第1室東側)
展示番号 15番