私立の徳川美術館と公立の蓬左文庫が棟続きでひとつの「美術館・博物館」となっているのは、全国でもここだけ。
尾張徳川家が持っていたものを、美術品は徳川美術館へ、歴史資料は蓬左文庫へと分けられたという経緯があり、元のさやに戻っているわけです。
これまでは、空間はつながっていても、別の主体だったので、企画展をしていても、(似たテーマではありますが)、徳川美術館と蓬左文庫は別のテーマで展示をしていたのでした。
しかし、昨年度、徳川美術館本館が耐震補強工事のために使えなくなり、徳川美術館の企画展は蓬左文庫と共催して、両館の展示室を共有することになりました。
本館が使えるようになったあとも、このすばらしいコラボは継続しており、今回の「天下人の城」展も、徳川美術館と蓬左文庫が共催です。
広い空間を使えることで実現した、とあることが、「天下人の城」では行われています。
すでに行かれた方には、以下のように感じた人がいるかもしれません。
最初の蓬左文庫は「地味」
渡り廊下を歩いた
徳川美術館本館は「派手」
お城の「大恐竜展」だ?!
学芸員の原史彦さんが内覧会で、「蓬左が地味なのはわざとだけどわざとじゃない」(蓬左文庫より徳川美術館を目立たせたいということではない)と言っていたのは、理由があるのです。
恐竜展などでも、最初は小さかった恐竜の、人間の指先くらいの化石があり、その後、ティラノサウルス・レックスのような巨大な恐竜の全身骨格が登場しますよね。
これと同じように、最初は地味だった天下人の城の卵たち(蓬左文庫コーナー)
↓
それが天下人の城となると(徳川美術館本館コーナー)
となるのです。
もしも、この地味から派手の変化を感じたならば、
徳川美術館の特別展「天下人の城」。中世城館から説き起こし、天下人の居城を軸に、絵図・文書・考古資料・美術工芸品を通じて、列島に広く近世城郭が成立した意味を問い、城の時代の終焉までをたどります。城跡から歴史を考える研究が、徳川美術館の展示にみごとに結実していると思います。
— 千田嘉博_奈良大学 (@yoshi_nara) 2017年7月23日
と言う千田先生をはじめ、たくさんの研究者の人たちが長年かけて積み上げてきた歴史研究の成果を体感しちゃったことになるのです。
比較しやすいのが「名古屋城本丸御殿の襖絵」
非常にこのコンセプトがわかるのが
蓬左文庫の北西にある名古屋城本丸御殿の襖絵と、徳川美術館本館東奥にある名古屋城本丸御殿の襖絵です。
どちらも名古屋城本丸御殿の襖絵ですが、前者は清須城から移築した古い時代のもの、後者は天下人の城である名古屋城のために作られたもの。
【47】【48】名古屋城本丸御殿の黒木書院の襖絵 清須城から移築した遺品
【174-183】名古屋城本丸御殿の襖絵 江戸時代を通じて将軍を2回迎えるためだけの御殿に尾張藩が込めた維持と矜持
ぜひ見比べてください。