7/15~9/10開催の企画展「天下人の城」(織田信長、豊臣秀吉、徳川家康)について徹底リポート!

「天下人の城」〜徳川美術館応援団〜

天下人の城

安土城 信長が完成させた「The城」【お城観光ガイド】

更新日:

安土城のデータ

名称 安土城
築城 天正四年(一五七六)
スタイル 山城
城主 織田信長―明智秀満―織田秀信
歴史 安土城は、天正四年(一五七六)に織田信長が丹羽長秀に命じ、約三年の歳月をかけて完成した。岐阜城から安土城へと拠点を移したのには、より京に近いこと、琵琶湖の水運の利便性などがあげられている。
天正十年 本能寺の変で信長が自害、明智軍が一時は占拠したが、山崎の戦い後に退去する。その後は信長の嫡孫である秀信が入城し、織田氏の居城として続いた。
天正十三年(一五八五)に豊臣秀次の八幡山城築城に伴い、廃城されたと伝わる。
安土城は、昭和二十七年(一九五二)に国の特別史跡に指定されている。
特長 標高一九九メートルの安土山一帯に築かれた山城。近江六角氏の観音寺城を手本に総石垣の城を築いたとされ、石垣の上に地下一階地上六階建ての天主を設けている。天主を持つ安土城は、日本の天守建築の先駆けとも伝わる。
一直線に伸びる大手道や山の中腹に設けた家臣団屋敷など、同じく信長が築城した小牧山城に類似する点も感じられる。
天正十年 本能寺の変後、原因不明だが天主などが焼失。現在は石垣が残っており、安土山南側に堀が巡っていて往時の名残を留めることができ、また二の丸跡には、秀吉が建立したと伝わる信長廟が残っている。
織田信長は、城を居住空間として利用している。また「魅せる」にこだわり、城を「権威の象徴」としている部分も感じる。かつて軍事的拠点として用いられた城が、政治的な意味を持つようになった転換期を迎えたのが、この安土城かもしれない。
入場時間:料金 9時~16時(季節によって変動あり)
入山料:大人 700円 小人 200円 (摠見寺を拝観する場合は、別途500円)駐車料金510円
アクセス情報 車→名神竜王ICから北へ20分
公共交通機関→JR琵琶湖線「安土駅」下車。駅から徒歩約25分
問い合わせ、参考 問い合わせ:安土駅前観光案内所 TEL0748-46-4234
参考:滋賀・びわ湖観光情報

まとめ 流星☆

【写真】

西の湖からみた安土城のある安土山(2011年、hokuto撮影)

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