7/15~9/10開催の企画展「天下人の城」(織田信長、豊臣秀吉、徳川家康)について徹底リポート!

「天下人の城」〜徳川美術館応援団〜

天下人の城

小牧山城【お城観光ガイド】信長が初めてゼロから造った城

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「織田信長が初めて造った城」として注目されている小牧山城(愛知県小牧市)について、最新の調査結果をまじえ、山頂の主郭部などで発掘調査を担当している小牧市教育委員会の小野友記子さんに紹介していただきました。小野さんは応援団キックオフミーティングにも参加していただきました。

小牧市教委の小野さん

【小牧山城の概要と歴史】

濃尾平野に独立してそびえる小牧山城(国指定史跡小牧山)は、山頂の模擬天守(小牧市歴史館)とともに尾張地方のランドマークとして親しまれています。
永禄6~10年(1563~67)、織田信長が清須城から岐阜城に移るまでの4年間居城とし、天正12年(1584)には徳川家康と羽柴(豊臣)秀吉が歴史上ただ1度だけ直接対峙した小牧・長久手の合戦で、家康が小牧山城に本陣を置いたことなどで戦国史に名を馳せます。

小牧山城の縄張りの基本は永禄6年の信長築城時のもので、小牧・長久手の合戦で家康方の陣城となった際に、山麓をめぐる堀と土塁、中腹の堀と土塁、虎口などが改修されたようです。

小牧山城は、永禄期に約4年、天正期にはわずか1年足らず、という極めて限定的な城の存続期間に加え、江戸時代以降、尾張徳川家が「神君家康公ゆかりの古城」として大切に保護したという経緯から、山中の遺構の残存状況は良好で、研究上も貴重な城郭です。

【小牧山城の発掘調査と石垣】

史跡整備のため平成16年から続く主郭地区の発掘調査では織田信長築城段階と推定される石垣が次々と見つかり、メディア等でも度々その様子が紹介されています。

1.主郭を取り囲む2~3段の石垣

主郭をめぐる斜面では2~3段の石垣が検出されました。石垣は上から石垣Ⅰ、石垣Ⅱ、石垣Ⅲと呼称します。石垣Ⅰ~Ⅲは基底となる根石付近が良好に残存し、鈍角の入隅・出隅を繰り返しつつ主郭を囲むように築かれています。
石垣は小牧山産堆積岩を主体とする野面・布積みです。

主郭を廻る石垣は2段の段築と考えられていましたが、平成26年度、主郭北東斜面で3段目の石垣(石垣Ⅲ)を確認したことにより、主郭が幾重にも回された段築状の石垣で囲まれていたことや石垣の構築が予想以上の範囲に及ぶことが判明し、築城時の小牧山城主郭の姿を考える上で大きな手がかりが得られました。

2. 平成28年度の最新成果

山の南麓から続く小牧山城の大手道が主郭に接する部分を調査したところ、築城時の通路の一部を確認しました。
通路は鉤の手のように屈曲を繰り返す複雑な作りで、その通路の山側では岩盤を3mもの高さまで壁のように人工的に加工し、石垣と組み合わせている状況が判明しました。小牧山城は、主郭だけではなく、登城者を圧倒するような連続する石垣の重なりをもつ堅固かつ壮大な城郭プランを有していたことが推定できます。

右端のつづら折りが小野さんが説明している平成28年度の発掘で見つかった3メートルの岩盤の壁。小牧山城復元イラスト(富永商太・絵、千田嘉博・監修)

【調査成果から推定される小牧山城の姿と評価】

発掘調査により、これまで中世以来の「土の城」であると思われていた小牧山城が、当時の人々が見たことのない「石の要塞」とも言うべき異様な外観を備えた城であったことが今明らかとなりつつあります。

石垣上の建物について、推定する手がかりはほとんどありませんが、これまで瓦が出土していないことから、建物があったとしても、瓦葺ではなかったと思われます。
後の信長の居城である岐阜城・安土城が瓦葺建物や天主を備えている点と比較して中世城郭から織豊系城郭への過渡的様相を示したものといえます。

信長の城づくりにおける石垣への志向は安土城築城からではなく小牧山城で既に具現化していることが明らかとなり、織豊系城郭石垣の出現を小牧山城から検討する必要がでてきました。

永禄6年時点で尾張の一国守レベルであった信長が「城に石垣を採用する」という事業をどこから着想しどのような技術掌握により実現させたのか、等々、「天下人の城」の起点、小牧山城の調査成果からはさらなる謎が投げかけられています。

(小野友記子・小牧市)

*今回出展される出土品について小野さんが解説してくれています。→【57】小牧山城主郭出土品 次々に新発見が飛び出す「信長の初めての城」

小牧山城のデータ

名称 小牧山城
築城 永禄6年(一五六三)
スタイル 平山城
城主 織田信長
歴史 永禄6年に織田信長が美濃攻めの拠点として小牧山に築城し、清須から本拠を移した。信長は小牧山城を拠点に美濃に侵攻し、永禄10年(一五六七)に美濃稲葉山城を攻略。稲葉山城を岐阜城と改めて移住するまでの四年間が信長の時代であった。(小牧山城は廃城となったが、城下町は規模を縮小して存続していた。)
天正12年(一五八四)、小牧・長久手の戦いの際には、犬山城を攻略した豊臣秀吉軍に対抗して徳川家康が小牧山城跡を大改修し陣城として対抗した。江戸時代以降、小牧山は尾張藩により「御勝利御開運の御陣跡」として禁足地になったため、一般の入山は禁止された。元和9年(一六二三)に上街道が整備され、小牧山東方(現在の市街中心)に「小牧宿」が作られたため城下町の機能はそちらに移転し、小牧山南麗にあった信長の城下町は田畑となり、地名にのみ都市の名残を残すこととなった。
明治6年より県立「小牧公園」として一般公開されたが、明治22年に再び尾張徳川家の所有となる。昭和2年、国の史跡に指定されたことを契機に再度、一般公開され、昭和5年に尾張徳川家が小牧山を小牧町へ寄贈した。昭和43年実業家の平松茂が私財で、小牧市歴史館(小牧城)を建設し小牧市に寄贈。平成29年続日本100名城に選定された。
特長 標高86メートルの小牧山に築かれた平山城。江戸時代通じて禁足地であったため、山中の遺構がよく保存されている。主郭をめぐる部分では、小牧山産堆積岩を主体とする2~3段の石垣が発掘され、実際に目にすることができる。発掘段階で発見された「佐久間」の墨書が残る石は、墨書のある石材として最古級のもので、小牧山歴史館に実物が展示されている。
後の安土城と共通する真っ直ぐな大手道が特徴的である。平成28年の発掘調査で南側の主郭に接する部分の通路は鉤の手のように屈曲を繰り返す複雑な作りで、通路壁は天然の岩盤を加工したものと石垣を組み合わせた堅固かつ壮大な作りであったことがわかり、従来の「土の城」だと考えられていたものが「石の城」だったと明らかになりつつある。
大手門側の山麗部分では旧市役所の移転に伴い、平成29年に小牧・長久手の合戦時に作られた土塁や堀、曲輪の復元整備が行われ、平成30年には史跡センター(仮称)が開館予定である。
入場時間:料金 小牧山歴史館
午前9時から午後4時30分(入館は午後4時15分まで)。
休館日:第3木曜日・年末年始(12月29日~1月3日)
※ただし、祭日の場合は翌日
料金:大人100円、小人(小学生・中学生)30円。
(注)土曜日・日曜日・祝日は小人の入館無料。
アクセス情報 公共機関:上飯田線・名鉄小牧線「小牧」駅下車
徒歩:20分(1.5キロ)
バス:小牧駅より名鉄バス、ピーチバス、こまき巡回バスにて「小牧市役所前」下車車:小牧インターより車で5分
小牧山北駐車場  料金:30分100円(最初の2時間は無料)
問い合わせ、参考 小牧市ホームページ

まとめ:馬淵まり

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